六田知弘

MUDA TOMOHIRO >> Topics 2021

トピックス

写真家・六田知弘の近況 2022

展覧会や出版物、イベントの告知や六田知弘の近況報告を随時掲載していきます(毎週金曜日更新)。

過去のアーカイブ

2022.12.23 サッココマ
サッココマ

先日、東京のミネラルフェアでサッココマの化石をゲットしました。何と価格はたったの千円。
サッココマは今から約1億5千万年前のジュラ期後期に生きていたウミユリなどに近い棘皮動物で、海中に浮遊していたと考えられています。産地はあの始祖鳥で有名なドイツのゾルンホーヘン。
価格を見てもわかるように決して珍しいものではありませんし、同じサッココマでも10本の触手を全方向に綺麗に均等に伸ばしたものもあったのですが、なぜか私はこの一枚に惹かれました。

化石は時の流れの忘れもの。それは「写真」というものと重なります。
1億5千万年前にこの世に実際に生きていたものの痕跡と、今生きている私とが同じ時間を過ごしているという事の不思議を思いながら、2022年も暮れていきます。

みなさん、どうぞよい年をお迎え下さい。(六田知弘)

 

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2022.12.16 羽毛付きの種
羽毛付きの種

高幡不動の裏山の地面に長い羽毛のようなものがついた植物の種が落ちているのを見つけました。
羽根の部分の直径は4.5センチくらいあるでしょう。もう少し小さいのは日本でも見た事があるのですが、このサイズのものは初めてです。
以前、カンボジアの崩壊した遺跡を撮っていた時、密林の中で見つけたのは丁度このサイズ。地球温暖化で日本でも熱帯性の植物が生育しているのでしょうか。
いや、単に私が知らないだけでしょうけれど。(六田知弘)

 

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2022.12.09 裏山の道
裏山の道

今、駅に出るために高幡不動の裏山を通った時に、振り向いて撮った写真です。
色づいた葉っぱをもう半分以上地面に落としてしまっているコナラなどの木々ですが、残った黄褐色の葉っぱが日光を浴びて黄金色に輝いていました。それをスマホ上でモノクロに変換しました。
色がない分、逆にその光がより印象的になったように思います。
今日はいつも持っている一眼レフカメラを持って出なかったことをちょっと悔やむようないい光です。(六田知弘)

 

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2022.12.02 耳成山山頂より
耳成山山頂より

今、大和三山の一つ耳成山(みみなしやま)の頂上にいます。
日差しがあるのですが、空気は冷たく、写真を撮っていると、だんだん指が縮こまってきます。
耳成山は、母が施設に入る前の10年間ほどは健康にために毎日のように登っていた山で、今調べてみると標高はたったの139m。老人の足腰鍛錬にはもってこいの山のようでさっきから見かける人たちのほとんどはやはり老人たち。
ここからは南に飛鳥、西に二上山や葛城山が木々の間から望まれます。東には三輪山、そして北には奈良があるのですがここからは木に隠れてちょっと見えません。
今日は何も考えずにただ写真を撮っていようと思います。
午後からは大和三山のもう一つ畝傍山(うねびやま)に登るつもりです。(六田知弘)

 

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2022.11.25 白い椿と赤い楓
白い椿と赤い楓

高幡不動の裏山を歩いていたらびっしりと敷き詰められた落ち葉の上に白い椿の花が2、3個ずつかたまってひっそりと落ちていました。
そこから少し下って目に飛び込んできたのが余りにも鮮やかな深紅の楓。いくつかの枝が重なってまるでうねりながら天に昇る龍のようにも見えるものもあって、辺り一面、真っ赤な楓と鮮やかな黄色の落葉樹で山全体が覆い尽くされていると言っても過言ではないほどです。
この山の上の方に、かれこれ28年も住んでいるのですが、今年の高幡不動の紅葉は今までで最高と言っていいかもしれません。
楽しい時も苦しい時もありますが、季節は巡り続けます。(六田知弘)

 

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2022.11.18 幹に和紙
幹に和紙

奈良からの帰りに静岡県伊豆の国市の知半庵(ちはんあん)という古民家とその裏山を使ったギャラリーに立ち寄りました。(2017年に私の個展「記憶のかけら」をしたところです。)
今、第10回知半アートプロジェクトとして「墨のこえ」というタイトルで、青木一香、アラン・ラオ、ドミニク・エザールという墨アーチスト3人の作品を展示しています。
その中でも特に私が面白いと思ったのは、というより、ちょっと衝撃的だったのは、ここに写真を載せた、庭から裏山にかけて立ち並ぶ栗やコナラの木の幹に墨を塗った?和紙を貼り付けたドミニク・エザールさんの作品でした。
1年半も前に木に貼り付けてそのまま放置したという作品は、すでに自然と一体化しつつあって、和紙の表面が溶けかかっていたり、木と和紙の隙間にどんぐりが挟まっていたり、和紙のうえに蟻が細長い巣を作っていたりしていて、それが西日を受けて輝きながら風に揺らいでいました。
フランスから日本に移り住んで制作を続ける女性作家ドミニク・エザールさんですが、自然と人間、宇宙と人間とのつながりを、時の流れと自らの行為を通して確かめようとするような作品に私はとても惹かれました。(六田知弘)

 

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2022.11.11 正倉院展での再会
正倉院展での再会

今週は何故か一日一日がいつもより長く感じられました。特にしんどい日が続いたという訳ではないのですが、、、。いろんな意味で充実した日々であったという事でしょうか?

今日は老人施設にいる母に会いに行った後、奈良博の正倉院展を見てきました。
二十数年前、何点かの宝物を宝庫の中で撮影させていただくというラッキーな機会があったのですが、奈良博の正倉院展では毎回2〜3点、その時撮った宝物と再会できて、それが私の楽しみでもあります。
今回は、伎楽面「呉公」と「刺繍方形天蓋残欠」の2点との再会でした。
あの時と何にも変わっていない。それが今回見た時に最初に感じた事でした。
あの時もこの表情で迎えてくれた。なんだか胸が熱くなりました。
ものの表情は立体、平面に関わらずそれにあたる光によって変わります。奈良博の展示、特にそのライティングに感謝です。(六田知弘)

 

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2022.11.04 ヤモリの子
ヤモリの子

朝起きると床の上に何やら小さな影が見えます。屈んでみるとそれはヤモリの赤ちゃん。
ヤモリが室内にいるのはそんなに珍しい事でもないのですが、秋が深まりつつある11月になって、まだほとんど生まれたばかりのような小さな体で大丈夫なのかという思いがすぐに湧いてきました。
ちょっとシッポを触ると動く事は動くのですが、どうにも鈍い。外に逃してやろうとチョコチョコと体を触って動かせて、5分ほどかかったでしょうか。やっと私の掌の上にヤモリの子を乗せて、窓際に連れていきました。
日差しを受けたその体は、目だけが大きく、なんとも痩せ細って今にも消えていってしまいそう。
携帯のカメラでその姿を数枚撮ってから、植木の根元に放してやりました。(六田知弘)

 

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2022.10.28 宇宙船?
宇宙船?

金沢の「アート玄羅」での写真展「MIZU」が始まりました。(11月15日まで)
「玄羅」での写真展はギャラリーオープンの年から毎年この時期にやらせていただいていて今回は5回目となります。もうすっかり顔馴染みの常連のお客様が何人もいらっしゃるのですが、どういうわけか今年は、私が在廊中にはどなたもいらっしゃらず、どうしたことかとオーナーに訊いたところ、金沢の地元の人は今になってコロナを避けて外に出なくなってしまったのだとの事。そういえば金沢駅周辺は人で賑わっていましたが、みんな他所から来た観光客らしき人ばかり。東京や大阪とはやっぱり少し意識の上でタイムラグがあるようです。
会えるはずの人たちと会えないのはちょっと寂しい気持ちでしたが、それでも立ち寄ってくださる方々と作品を見ながらなんやかやとお話できるのはとても楽しい時間でした。
以前にも紹介しましたが、「玄羅」が入っているビルの一階に「石の華」という石屋さんがあって、そこに寄るのが私のもうひとつの楽しみでもあります。
今回は13〜14センチほどの両剣水晶(=ダブルポイント水晶)に曹長石の結晶が巻き付くように付いたものを買って帰りました。それを黒い布の上に乗せて、卓上のスタンドで照らして撮ったのがこの写真です。
あたかも大宇宙に浮かぶ宇宙船のようではありませんか。(六田知弘)

 

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2022.10.21 六田駅の待合室とアケビ
六田駅の待合室とアケビ

近鉄吉野線の六田(むだ)駅の待合室の壁面は面白く、ついつい写真を撮ってしまいます。
板張りの壁に白いペンキが塗られているのですが、ポスターか何かが貼られていた跡なのでしょうか、7〜8個の矩形があって、その部分だけ象牙色になっています。そしてその内側に鉛筆で数字があるものやないものが。
何らかの理由があって、こんな形になったのでしょうが、私にはその理由より、「今、ここに、このものが、こういうかたちで存在するという事の不思議」に引きよせられてついつい写真を撮ってしまいます。
仕事場から六田駅に向かう山際の細い歩道脇に落ちていたアケビの実にも思わずパチリ。


大阪での仕事を終えて、金沢のアート玄羅での個展「MIZU」の会場に向かう電車の中でこれを書いています。
もしお近くにおいでの際は是非お立ち寄りください。
22日と23日は会場におります。(六田知弘)

 

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2022.10.14 川越氷川神社の写真集発刊と金沢での写真展「MIZU」
川越氷川神社の写真集発刊と金沢での写真展「MIZU」

ここのところなんだかバタバタしていて、コロナ禍で緩んだ脳と体がそれについていけないけれど、落ち着かないままでも、仕事がなんとか形になりつつあるという状態です。
昨年の初夏から川越氷川神社からの依頼で撮ってきた神社の本殿の写真がこの度めでたく綺麗な写真集となって発刊されました。昨年の真夏にこのトピックスでも撮影の様子を書きましたが、フリーになったばかりの息子 春彦と二人で撮った初めての共作です。
二人が撮った画像を誰が撮ったか分別せずにデザイナーさんや編集者に渡したのですが、結果的に使われたのは私と息子が半々くらい。これはちょっと複雑な気持ちでしたが、、、。
因みに添付の写真のうち表紙は私、見開きのものは息子が撮ったものですが、いかがでしょう?
この写真集は一般には販売されることはないのですが、もしご興味のある方は、川越氷川神社にお問合せいただければ手に入れることもできるとのことです。

それと、毎年この時期に金沢の画廊アート玄羅さんで開催している個展ですが、今年も「MIZU」というタイトルで10月21日から11月15日まで開催します。私は22日(土)、23日(日)には在廊予定です。もしお近くにいらっしゃる事があれば是非お立ち寄りいただきたいです。(水、木は休廊)(六田知弘)

 

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2022.10.07 熊野詣
熊野詣

白山登拝に続いて熊野詣でをしてきました。
特に霊山というか聖地巡礼をしようと思いたった訳でも、特別な土地を撮影しに行ったという訳でもなく、知人に誘われるままに行っただけですが、なんとなくではありますが、彼の地から呼ばれているようにも思えます。
本宮、新宮、那智のいわゆる熊野三山を巡った後、帰りに熊野市の「花の窟神社」に寄りました。その10月2日はたまたま、御縄掛け神事が行われる秋の大祭の日で、車で到着した時間が、神事が始まる直前のベストタイミングでした。空は青く澄み渡り、御神体の白い磐座の上方で真新しい大綱に付けられた三つの綱幡と扇が海風に舞う姿はなんだか夢のように感じられました。(六田知弘)

 

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2022.09.30 ウロに咲くユリ
ウロに咲くユリ

神社の裏山の木のウロに一輪のユリが咲いていました。
ササユリでしょうか?それともヤマユリ?
なんともひっそりと、しかし、しっかりと軸のブレないその姿に思わず呼吸が深くなりました。
先週のトピックスは白山の頂上付近で書きましたが、その前日に麓の福井県 大滝神社の裏山で草鞋を履いて上ったところで見つけた彫刻家 橋本雅也さんの鹿の角や骨を彫って作った作品です。(六田知弘)

 

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2022.09.23 白山山頂
白山山頂

風と雨と霧の中、白山山頂(標高2702m)から白山室堂の山小屋に戻ってきたところです。
久々の山、びしょびしょでなかなかハードですが、楽しんでいます。
これから2〜3時間の下りです。(六田知弘)

 

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2022.09.16 月光浴
月光浴

中秋の名月の夜、いつも仕事机の上においている両方の先が尖った水晶を、水を満たした黒い天目茶碗に入れて、煌々と照る満月の下に置いてみました。でも黒地に透明ですから、いくら満月といってもなかなか水晶の姿はくっきりとは見えてきません。
しばらくそのまま月光浴をさせた後、思い立って、カメラを三脚に取り付けて長時間露光で撮影してみました。するとどうでしょう。まるで曜変天目のような青い虹彩を放つ宇宙に浮かぶ、透明な宇宙船のような姿の水晶がくっきりと浮かび上がってきて思わずニヤリ、としてしまいました。(六田知弘)

 

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2022.09.09 笛吹く道士
笛吹く道士

引き出しを開けたら新聞紙に包まれたものがあり、開いてみると染付の皿が出てきました。もう30年ほど前に手に入れた中国の明末清初のいわゆる古染付です。
柔らかな牛乳のような白地の真ん中に笛を吹く隠者のような人が一人濃い藍色で描かれている。ただそれだけですが、まるで、静かな夜に何処からともなく、そこはかとない笛の音が聞こえてくるような不思議な気配を醸し出しています。

この皿を見ると、若い頃に中国に撮影旅行に行ったある日の日没の頃、固原の町外れの、何もない小高い丘の斜面にポツリと残された崩れかけた楼門の前を通りかかったとき、どこからか不思議な音が響いてきました。見まわすと楼門の下の薄暗がりの中に一人のボロを着た盲目の男が蹲って胡弓らしきものを弾いていました。それに気づいた瞬間に鳥肌がたってしばらくそこを動けなかった。その時の事を思い出します。

そういえば、この皿を30年ほど前に私が、そして去年は息子が、古美術品の写真の練習のために撮っています。さて息子と私、どちらの写真の方が、より良い音色を響かせてくるのでしょうか。(六田知弘)

 

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2022.09.02 アンモナイトの縫合線
アンモナイトの縫合線

子供の頃から石集めが好きだった私ですが、先日、大ききめのアンモナイトの化石を手に入れました。突起があるタイプなので進化の終わり頃、後期白亜紀のものだと思われますが、表皮がむけて半透明の飴色を呈しています。そして白色の複雑な形の縫合線が浮き出ています。
手のひらいっぱいぐらいのズッシリと重いそいつを掴んでいろんな角度から眺めまわしているといつまでも飽きることがありません。
恐竜が絶滅する直前の7000万年ほど前に実際に海の中をタコのような体を殻から出して泳いでいた姿はどんなだったでしょう。モササウルスのような海棲爬虫類に追いかけられたりしたのでしょうか。そんなことも考えますが、そんなことより、ただ見て触っているだけでなんとも嬉しくなる、骨董品いじりにも通じるような喜びを久々に味わっています。(六田知弘)

 

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2022.08.26 オオスズメバチ
オオスズメバチ

高幡不動の裏山を通って駅に出ようと、急な坂道を下っていると、足下に大きなスズメバチがいて、しきりに体を揺すぶっていました。気が付かずにもう一歩踏み出していたら、危うく踏み潰すか、あるいは、逆に攻撃されて刺されてしまうところだったでしょう。私は、秋口のオオスズメバチは攻撃性が極めて強く、刺されたら大変なことになるということは知っていましたが、いつもの習性でスマホを出して、少しだけ望遠にしてから屈んでグッと近づいて、何枚も写真を撮りました。
その間、やつは、私のことなど無視をしてしきりに何かを食べているようです。あたりには甲虫の羽が散らばっています。多分食べられているのはカナブンでしょう。
しばらくして、スズメバチは幼虫のために巣に持っていく餌を十分に確保できたのか、私の事など気にも止めずに五重の塔の方に飛び去っていきました。
地面に残されていたのは、青黒い羽と背中の硬い部分だけでした。(六田知弘)

 

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2022.08.19 お盆のお供え
お盆のお供え

お坊さんが読経を終えて帰られてから、部屋の電気を消したら障子を通して届いた柔らかい光がお盆のお供えの野菜を鮮やかに浮かび上がらせていました。
子供の頃はお盆のときはご先祖の霊を送り迎えする乗り物として胡瓜や茄子に割り箸を挿して足をつけて馬と牛をつくったものが供えてあって、それが面白くて喜んだものですが、いつ頃からかうちではそういうこともしなくなり、お皿に紫色の紙を敷いて野菜を載せるだけになりました。でも、電気を消して闇の中に浮かぶ野菜の色や艶を見たとき、忘れていた子供の頃のお盆の光と匂いをふっと思い出しました。(六田知弘)

 

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2022.08.12 吉野のヒラタクワガタ
吉野のヒラタクワガタ

昨年の7月にこのトピックスに書いた(2021・07・21)吉野の仕事場の玄関ドアにくっついていた大きなヒラタクワガタですが、東京の家の玄関先の飼育ケースの中でまだ元気に生きてくれています。
こんな年齢になってもこの黒くて艶やかな姿を見ていると、イヤにワクワクとしてくるのはなぜでしょう。
自然が作った造形には人には到底真似ができない何かヒミツのようなものが宿っているように思います。そのヒミツのカケラだけでも写真で捉えることができたらどんなに嬉しいことか。(六田知弘)

 

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2022.08.05 大阪でカワセミ!
大阪でカワセミ!

ここのところ毎日同じように奈良から大阪に通っています。
朝はいつも淀屋橋駅の上のカフェで土佐堀川とそれにかかる淀屋橋の上の出勤を急ぐ人たちと車の流れをぼんやりと眺めながらモーニングセットを食べています。
数羽のカモの親子連れが波間に浮かんでいますが、つい3週間前はヒナたちはまだまだ小さかったのですが、この間でグングン大きくなって今はどれが親なのか子なのか見わけがつかないほど。その成長の早さは驚くばかりです。
ある朝、そんなふうにぼんやり眺めているときでした。横にいた息子が あっ、カワセミ!
ひとつの小さな瑠璃色のかたまりが暗緑色の川面の上を右から左に弾丸のように飛んできてヒューと浮き上がったかと思うと人と車で混み合う淀屋橋の上を飛び去って行きました。一瞬の出来事でしたが、夢ではありません。確かに二人して見ました。こんな大都会にカワセミがいるなんて!
自然のうちに隠されたヒミツをチラッと垣間見たような一瞬でした。
写真に撮れなかったのがちょっと残念でしたが。(六田知弘)

 

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2022.07.29 土佐堀川のカモ
土佐堀川のカモ

ここのところしばらく奈良から大阪に通っています。
大阪も猛暑が続き、昼ご飯を食べに近くまで出かけるのもちょっと辛く、食事後も撮影開始時間まで外で時間を潰すのもきついので、ついつい冷房の効いた食堂にぎりぎりまでいる事になります。
ある日、急ぎ足で中之島に渡る土佐堀川の橋を渡っていると川岸にカモが一羽いたのでスマホでパチリ。
結構ここにはカモがいるみたいで、この前など10羽ほどの親子のカモが綺麗にV字に並んでビルの影が映った水面を遡っていきました。(六田知弘)

 

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2022.07.22 奈良の響き
奈良の響き

奈良国立博物館に行ったら偶然その日は仏像供養の日でした。
旧本館(現なら仏像館)での十人の東大寺の僧による聲明はまるで宇宙と繋がるかのように深く、艶やかに室内に響き渡り、その声に包まれた私の脳は瞬く間に痺れて、涙がじわりと染み出してきました。館内のそれぞれの仏像にもさぞかし深く染み込んでいったことでしょう。
奈良博ではずっと以前からこの仏像供養は受け継がれているとのこと。奈良に生まれた者として、その仏像に対しての向かい方に、なんだか一種のアイデンティティのようなものを再確認できたようで、とても嬉しく、誇らしく思えてきたひと時でした。(六田知弘)

 

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2022.07.15 逗子の洋服店
逗子の洋服店

人に会うため逗子に行きました。
その日は雲ひとつない日曜日とあって、海遊びに来たらしき人達が駅前にも溢れていました。若いカップルや子供連れなどに混じってサングラスで半パン姿の70歳は超えているように見える(元?)湘南ボーイズやガールズたちもみな、イラスト画の中の点景人物のように真夏の光を浴びて、ちょっと不思議な異空間を構成していました。
待ち合わせ時間には少し早かったので駅前を歩いていたら交差点の向こう側にちょっとレトロな洋服店があったので思わずスマホでパチリ。昭和を思い出すファサードと天井の低い一階の薄暗い売り場にびっしりと並んだマネキンが、不思議にオシャレに思えるのは、この逗子という街が醸し出す独特の雰囲気を形造るのにこのお店も一役買っている証拠とも言えるのかもしれません。(六田知弘)

 

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2022.07.08 小さな手
小さな手

指先で摘んでいるのはガンダーラ仏の右手。中指の先から手首まで2.5センチくらいしかありません。
それにしてもなんと柔らかく温かい、そしてリアルな手なんでしょう。
見ているだけでその掌からは、清らかなパワーが伝わってくるように思えます。(六田知弘)

 

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2022.07.01 夕立のあと
夕立のあと

ここ3週間ほど大阪での撮影のため関西に来ています。
休日は吉野の仕事場で本を読んだりうたた寝したり。
夢の中でホワイトノイズのような音を聞いて、なんと心地いいのだろう、と思って意識が戻ると、窓の外の青々とした葉をいっぱいつけたケヤキの大木を背景に日光を浴びて金色に輝く雨粒がシャワーのように斜めに降り注いでいるのが見えました。
夕食前に散歩に出るとアスファルトの上に濡れた葉っぱがアップリケのように張り付いていました。
それにしても、こんなに暑いのにセミの声があまり聞こえないのは、真夏が来るのが早すぎて、セミが地上に出てくるのがそれに間に合わなかったということなのでしょう。(六田知弘)

 

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2022.06.17 掌の隕鉄
掌の隕鉄

もう何年も前からリュックに入れてほとんど毎日のように持ち歩いている隕鉄(鉄分の多い隕石)を久しぶりに外に出して流水に晒し、朝の陽光を当ててやりました。
隕鉄は息を吹き返したように私の掌の真ん中で心地よい磁場を作ってくれました。(六田知弘)

 

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2022.06.10 風の強い日
風の強い日

風の強い日、高幡不動の裏山で木の根元に木漏れ日が当たり、それが激しく揺らいでいるのが目にとまりました。
スマホを取り出し、めずらしく動画で撮ってみました。再生したものを見ていると私の頭もシンクロしたのかぐらぐらと揺らいでしまいました。それをここにアップしようとしたのですがうまくいかず停止画となってしまいました。悪しからず。(六田知弘)

 

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2022.06.03 ホームの広告掲示板
ホームの広告掲示板

六本木に行くために、都営地下鉄大江戸線の新宿駅の地下ホームに立ったら、線路を挟んだ向いの壁面の広告掲示板のパネルが外されていて、白い地が裸で出ていました。いつもの癖で、慌ててポケットからスマホを取り出して一枚パシャリ。間髪を入れず、電車がホームに滑り込んでいこんできて、、、それではまた。(六田知弘)

 

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2022.05.27 吉野の十津川村
吉野の十津川村

先月に続いて吉野の十津川村に行きました。
十津川村は、紀伊山地のど真ん中、奥深い山中にあり、日本で一番の面積を持つ村としても知られています。
私が子供の頃にも十津川に何度か連れて行ってもらったことはありますが、道が細くて曲がりくねって、アップダウンもひどくて、そう簡単には行けない秘境のようなイメージでしたが、今は道が整備され新しいトンネルもたくさん造られて、快適に、あっという間に辿り着くことがます。(十津川への入り口 五條の町からは1時間余で十津川村役場に着くことができます。)もっともメインの国道をはずれると相変わらずの難路ですが。


先月、十津川の山中にある玉置神社に行く途中、宇宮原地区のトンネルの手前で目に入った風景が忘れられず、今回改めてしっかりとしたカメラを持って行きました。(この写真はスマホで撮ったものですが、)山肌がずっと上から大きく削れるように崩壊していて、下方には砂防ダムの白いコンクリートが陽を浴びて光っています。10年ほど前に、紀伊半島を襲った台風12号の爪痕でしょう。
なんとも言葉に表し難い、ちょっと非現実的な光景に向かってシャッターを何度も押しました。なんで自分はこんなものに惹かれるのか余りよくわかっていないというのが本当のところなんですけれど、、。(六田知弘)

 

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2022.05.20 箸墓古墳
箸墓古墳

暖かな日差しの下、考古ファンの友人と大和の古墳巡りをして一日を過ごしました。
石光山古墳群、新沢千塚古墳群の後、橿原考古学研究所附属博物館に立ち寄って、三輪山(大神神社)に参ってから、すぐ近くの箸墓古墳に久しぶりに行きました。
箸墓古墳は邪馬台国の卑弥呼の墓ではないかともいわれる大きな前方後円墳です。おそらくかつては古墳の周りを囲む環濠の一部であったと思われる池越しに見える箸墓は、柔らかな空とそれが映った水面に挟まれて、1700年以上も続く静かな呼吸をしているように思えました。
その後、黒塚古墳やメスリ山古墳などを廻ったのですが、大和には至るところに古墳があって、そんな土地に生まれた自分が今、この時代に生きていることがとても不思議なことのように、あらためて感じてしまいました。
古墳が造られた時代も今の時代も、種類は違っても争いや疫病や天変地異など様々な禍いが人間を取り巻いていたのは確かでしょう。そんな中でさて我々は、そして私は、どう生きていくのか。どう死んでいくのか。朝早く起きたせいか、ほとんど寝むっているようなぼんやりとした頭で今さら考えても意味ような事を思いながら千数百年前にこの世に存在した人達のお墓の周りを巡り歩きました。(六田知弘)

 

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2022.05.13 要石
要石

宮城県丸森町の山で三日間、石の写真を撮っていました。「大蔵山スタジオ」という採石会社の持つ山で、一般には公開されてはいないのですが、知人を通じて許可を得て撮らせていただいています。
この山を訪れるのは今回が3度目です。最初の時から、そこにある種の磁場のようなものをそこはかとなく感じながら、奇妙な文様が浮き出た露頭や、山から掘り出されて地面に転がされたり山積みにされたおそらく鉄分によるらしき赤茶の皮を被った丸い石や、割れて鋭利な形状を呈する大石や、イギリスやフランス ブルターニュ地方のメンヒルやストーンサークルを思わせる巨大な立石にむかって(いつものように)何も考えずにひたすらシャッター押し続けました。3日間で撮ったのは4,438カット。
そんな無数の石の中で、いつも強い磁力のようなもので私を引きつける1つの大きな石があります。それが山全体のほぼ真ん中に位置するところと思われる三叉路にあるこの写真の石です。高さ幅とも2mくらいでしょうか。表面が鉄錆色の皮に覆われた丸い石です。これを最初見たときには隕鉄だ。と思いました。それというのも、私がいつも持ち歩いている小さな隕鉄(鉄性隕石)と色も質感もそっくりだったものですから。
この石の前に来ると、私はいつも挨拶のように、その姿を写真に撮ってから、手に触れて温度と肌触りと匂いを確かめます。この石は、もともとここにあったものなのか、あるいは人為的に置かれたものかはわかりませんが、私には山全体が持つトポス(場)なるものの中心となっている特別な存在のように感じます。これがいわゆる「要石」的なものなのでしょうか。(そういえば、この石のすぐ裏には採石をする前からあったであろう山神さまと昭和の時代の新しいものとが並んで祀られています。)
この山は、なんとも奥深く、そう簡単には全てを開いてくれるようには思いませんが、許されるかぎり撮り続けたい ゲニウス・ロキであるように思っています。(六田知弘)

 

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2022.05.06 青葉
青葉

近くの高幡不動尊の裏山は、「若葉萌える」季節が過ぎて、今は「青葉燃える」とでも言ったらいいのでしょうか、緑色の火に焼かれているようにも思えるほどの熱気?を孕んだ輝きを放っています。
その中を風にそよぐ葉っぱの音を聞きながら歩いていると、ジタバタと焦る事はない。ただ大いなるものに身を任せればいい。そういう声がどこからともなく聞こえてきたのははなぜでしょう?
そういえば、先月、年に一度のご開帳があった河内長野の観心寺の如意輪観音を撮影した直後にも同じような声が聞こえてきたようにも思えたのですけれど、、、。(六田知弘)

 

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2022.04.22 蟻地獄
蟻地獄

私の故郷 奈良県御所(ごせ)の玉手山に登りました。玉手山は山というより丘といった方がいいようなところですが、近くには「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山こもれる 倭しうるわし」と詠んだとされるヤマトタケルノミコトの(大和)白鳥陵があります。そしてこの玉手山自体にも第6代天皇 孝安天皇の御陵があります。いずれも実在したのかどうかは不明の神話の世界の人物です。
私は物心がつくかつかない頃からこの山によく登ったようで、幼稚園の遠足でお弁当を食べていて、手に持ったおにぎりを落としてしまい、「おむすびころりん」よろしく、コロコロと坂を転げていった光景が一番古い、微かな記憶として残っています。
また小学校の低学年の頃に友達とかくれんぼをしていて、みんな隠れて、しんとした山の中で一人いるとなんとなく心細くなってきたその時に、山のどこかから「ピーーー」というかん高い指笛のような音が聞こえてきて、怖さが頂点に達して、木や岩影に隠れていたみんなが、坂を転げるように走り下りたことも遠い記憶にあります。
そんな玉手山には三つの小さな祠や神社があります。一番上の神社には社殿の前に小さいながらも楼門があり、その内側に数枚の大きな絵馬が架けられています。床面は砂地になっていて、そこには昔から変わらず、すり鉢状の奇妙な凹みと曲がりくねった線が何本も描かれています。蟻地獄です。
私はここに来る度にその蟻地獄の文様を写真に撮るのですが、考えてみると、それを私が初めて見たであろう時から、もう60年もの時間が経ったという事です。その間に蟻地獄を作るウスバカゲロウも何十代も世代交代を繰り返しながら今まであの模様を描き続けてきたという事になります。
そう考えるとなんだか此岸と彼岸というか現世と異界との境界というようなものはそんなに明瞭なものではないのではと思えてくるのですが、、、。(六田知弘)

 

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2022.04.15 吉野の水分神社
吉野の水分神社

半年ぶりの吉野水分(みくまり)神社。いつものように、ご挨拶がわりに拝殿の柱を撮ったあと、振り向いて向かいの本殿の方を見ると枝垂れ桜の老木がこれ以上ないような清正さで咲き誇り、四つの建物に囲まれた長方形の境内に温かくて柔らかい気を放っていました。
その気に満たされた空間は、あたかも透明なカプセルに覆われたような異空間で、そこに佇んでいると母胎回帰して、羊水に浮かんでいるような不思議な安心感を覚えるのはなぜでしょう。(六田知弘)

 

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2022.04.08 椿と桜
椿と桜

ここ2〜3日ようやく春らしいお天気になりました。
いつものように駅に行くために高幡不動の裏山を歩いていると、前日までの雨に打たれてか、湿って黒い地面に椿の花がたくさんかたまって落ちていました。そしてその周りに、白い山桜の花びらが、まぶすように散っていて、木漏れ日を受けて揺らいでいました。
宇宙の一隅を覗いているようにも思えます。(六田知弘)

 

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2022.04.01 奈良まほろば館での展示
奈良まほろば館での展示

今日の東京は朝から強風が吹き、4月とは思えない寒さですが、まだしばらくは三寒四温の日が続くのでしょうか。体調管理をしっかりとしなければ。

ここでご案内ですが、4月1日から一ヶ月間、東京新橋にある奈良県のアンテナショップ「奈良まほろば館」の一角で「運慶のまなざし」という写真展示をします。
展示の写真は興福寺北円堂の無著、世親菩薩像と南円堂の四天王など運慶作のものと運慶の三男 康弁作の龍燈鬼、天燈鬼の合計9点です。
これらの写真は既にご覧いただいている方も多いと思いますが、環境が変われば感じ方も違うもの。お近くにいらっしゃる事があれば是非お立ち寄り下さい。カフェコーナーに隣接しているので美味しいコーヒーなどを飲みながら楽しんでいただけると思います。
奈良まほろば館は、昨年日本橋から移転してリニューアルオープンしたばかりで、銀座通りの一番端っこにあります。新橋駅からは歩いて2〜3分のところです。(六田知弘)

 

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2022.03.25 朝鮮陶磁の肌触り
朝鮮陶磁の肌触り

大阪東洋陶磁美術館での撮影も終盤を迎えました。今回は主に朝鮮時代のやきものの撮影ですが、その魅力を堪能しながら撮っています。
んだ形や子供が描いたような絵や模様など様式にこだわらない自由奔放な造形がめちゃめちゃおもしろい。
そして思わず手で触れて、撫でてみたい、頬擦りしたい、ものによっては舐めてみたい、というような衝動を覚えてしまうこともしばしば。自分のものではないのでその衝動は抑え込まなくてはならないのですが、せめてカメラを通した目でその肌を撫でまわしていたい。
そんな不埒な思いを抱きつつ、一点一点愉しみながら撮らせてもらっています。(六田知弘)

 

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2022.03.18 大阪にて
大阪にて

2週間ほど前から仕事で大阪に来ています。
いつも大阪東洋陶磁美術館の最寄りの淀屋橋駅の上にあるカフェでコーヒーを飲んでから美術館にむかいます。
今日は久しぶりの雨模様。ビルの間から見える空もグレーで、今撮っている朝鮮陶磁の背景紙の色と同じだなぁとぼーっと眺めています。
この中之島にも新しい美術館がオープンし、東洋陶磁美術館や天王寺の市立美術館も改装工事に入っていて3年後の万博を見据えて着々と動いているのがわかります。
コロナ禍やウクライナ情勢や東北での地震など、なかなか気分が晴れず、すくみがちな日々が続きますが、いつかそのうち光が差してくると信じて、そろそろ前を向いて歩き出す時なのかなと、傘をさしてでも動いている大阪の人々とバスや車の流れを眺めながら思っています。(六田知弘)

 

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2022.03.11 ホームの柱
ホームの柱

JR四谷駅のホームで並んで待っていたら、ホームの屋根を支える柱に面白い模様を見つけました。その時、丁度電車が入ってきたので列を壊さないように前に進みながらスマホを持った左腕を伸ばしてパチリ。以外と面白い写真が撮れたと自分では思っていますが、いかがでしょう。
今度はあらためて一眼レフでしっかり撮ろうと思いますが、さてその時はどんな表情を見せてくれるのでしょうか。
(なんかこれと同じような事を前にも書いたように思えます。デジカメ時代になって写真は気軽に簡単に撮れるので、こんな事をいつもやってます。)(六田知弘)

 

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2022.03.04 クレーとピカソ マチエール
クレーとピカソ マチエール

先週のモネに続いてアーティゾン美術館に展示されている作品についてですが、2点並んだクレーとピカソの絵を見ながらそのマチエールによる作者の個性の表出の豊かさにあらためて驚かされました。
クレーの作品は、「島」というタイトルで、ピカソのものはキュビズム時代の「カップとスプーン」です。
写真はその部分を撮った(アーティゾン美術館はありがたいことに写真撮影可です。)ものです。
普通の画集ではこのマチエールは再現できない。なぜなら、画集のためや資料としての写真を撮る時には「色と形」を出来る限り実物に忠実にする事が要求されます。そのためにライトを画面全体にフラットに当てて、マチエールつまり凸凹感や陰影などの肌触り感をなくしてしまう、というか、それを排除するように撮るからです。
しかし、実際の絵そのものから受ける印象は、色や形だけではなく、絵の具の厚みや質感、キャンバスや紙などの支持体の材質などによってその印象はどれだけ違ってくるものか。触覚的要素の重大性を2枚の絵の前であらためて思いました。
これは絵など平面作品だけではなく、仏像や美術品全体に関してももちろん言える事。それを美術に関わる専門家の人たちで理解している人があまりにも少ない。少なすぎる。みんな色や形つまり意識化しやすい視覚的要素だけで美術品を見過ぎていて、言葉にしにくい意識下のものと繋がる肌触りのようなものをあまりにも軽視しすぎている。それこそが作品が放つ精神性と密接に繋がっているものなのに、、、。
クレーとピカソの絵の前で、ある種の憤りのようなものをも覚えながら、スマホでその絵を撮りました。
触覚的な要素を必要としないデジタルの時代でそんな事をいっていたら生き残ることは難しいのかもしれませんが。
でも、大げさかもしれませんが人類が地球上に生き残るためには、この触覚という部分を無視することはできないのでは、とさえ本気で考える、デジタル音痴の今日この頃です。(苦笑)(六田知弘)

 

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2022.02.25 霜柱
霜柱

近所の広場の端っこで霜柱を見つけました。先に見つけた誰かが足でサッと霜柱を倒したのでしょう。それがかえって綺麗に見えて思わずスマホと一眼レフで撮りました。
日陰なので青白く見えますが、これを緑や黄色に変えてみたら印象派の筆のタッチみたいだと思って家に帰ってモネやセザンヌやゴッホの画集を見てみたらまさにそう。
こういう筆のタッチのようなのは水面を写真に撮った時にも時々あります。その感じは普通は目には捉えられないのですが、写真に撮ると写ってくる。
カンボジアの水溜まりを撮ったときにはそれが凄かった。写真じゃなくてこれは絵だ、と撮ったすぐにカメラの液晶の画面を見て驚きました。近い将来その写真をまとめて、みなさんにご覧いただく機会ができればと思っています。
それはある種の光のスペクトルなのかもしれません。画家たちはそれを直感的に捉えて自らの絵に半分無意識のうちに表現していったのだとも言えるのではないでしょうか。バーチャルリアリティとはまた違う、見えていないのに見えている、もう一つのリアリティがそこにある。昨日は、それを確かめるべくアーティゾン美術館のモネの「ヴェニスの黄昏」や「睡蓮」の前に立ってしばし忘我の時を過ごしました。(六田知弘)

 

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2022.02.18 サザンカ
サザンカ

母に面会に行きました。面会中はほとんど目をつむった状態で、私が来ているのがわかっているのかいないのか、心もとないのですが、顔色もよく、まあ落ち着いているようなので、これでいいとするしかないかと思いながら15分間の面会を終えて、施設の玄関を出たら、庭に冬の光を受けたサザンカ(花びらが一枚ずつ散っていたので椿ではないと思うのですが、、、。)の花が目に入りました。白い人体を思わせる幹を背景にした赤い花はなにか少し艶かしさのようなものを感じます。

艶かしさというと、友人の彫刻家橋本雅也さんに先日見せてもらった最近作 鹿の角で椿を彫った作品にも濃厚なエロスのようなものを感じました。

4月9日からその椿も含めた鹿の角や骨を素材とした作品展が東京白金のロンドンギャラリーで開催されるとのこと。新たなステージに入ったのかもしれない彼の作品群を見せてもらうのを楽しみにしています。(六田知弘)

 

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2022.02.10 ポンペイの壁
ポンペイの壁

東京国立博物館で開催されている「ポンペイ」展に行ってきました。
とても充実した内容で大満足です。それに私にとってなによりも有り難いのは展示されている作品は全て撮影可となっていた事です。それと知らず、いつも持っている一眼レフカメラをロッカーに入れて会場内には持って入らなかったので今回はスマホで撮るしかなかったのですが、またあらためて訪れて、しっかりした一眼レフカメラで撮るつもりです。
展示作品の中で特に印象的だったのは、「壁」です。何やら広告文句らしき文字が書かれたポンペイの壁をそのまま剥ぎとって展示してあるのですが、それがなんとも強い存在感をもって迫ってきてとても新鮮でした。
私は20数年来、イタリアを中心に世界各地で「壁」を撮ってきましたが、私のやりたかったのはまさにこれ。剥ぎ取る事はさすがにできないので、その代わりとして、壁そのものに見える壁の写真を展示してきました。壁の写真展だけで日本とパリとであわせて7回やりました。写真展に来てくださった方から、壁そのものを剥ぎ取って額に入れているのじゃないかとよく言われますし、本当に作品の表面が凸凹してなくて全くの平面なのかどうか確かめたくて、斜め側面から写真を覗き込んだり無意識のうちに手でその表面を触ってしまいそうになる人も相当数いらっしゃいます。
私がなぜ壁に惹かれるのか?そう問われると、壁にはそれが造られた時から写真を撮るその時までの「時間」が堆積しているから、と今までは答えていたのですが、今は、壁からは言葉にはできない存在のリアルともいうようなものを触覚的に感じるからということも加えようと、ポンペイの切り取られた壁を見ながらぼんやりと考えました。
来年は、また私の壁の作品を新しい視点で捉え直して、写真展などでご覧いただこうと考えています。乞うご期待を。(六田知弘)

 

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2022.02.04 スイカをがぶり🍉
スイカをがぶり

大きな口を開いてスイカをガブリと頬張ろうとする子。この絵を一目見て、まいりました。
前回取り上げた、「おむすびころりん」を描いた女の子の弟が幼稚園の頃に描いたんだそうです。
奈良県の葛城山麓の道沿いの仏花店の店内にいっぱい貼ってある絵の一つなのですが、自由でなんのこだわりもない。
はじける命の表出に、乾杯です‼(六田知弘)

 

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2022.01.28 花屋さんの絵
花屋さんの絵

奈良県御所市にあるわが家の墓に参るとき、軽トラで葛城山添いに北に走って隣町葛城市の道沿いの地元の農園の老夫婦がやっている花屋さんで仏花を買います。
なぜわざわざそこに行くかというと、比較的安価だということもあるのですが、それより農家の作業場のような店内の板壁に一面に貼ってある子供たちが描いた絵を見るという楽しみがあるからです。
老夫婦のお孫さんたちが小さな頃に描いたものだそうですが、なかでも孫息子の一人が幼稚園のときに描いた大きな口を開けてスイカを頬張る絵と孫娘が小学1年生の時に描いたという「おむすびころりん」という絵にとても心惹かれます。
いつもここで花を包むおばあちゃんの話を聞きながら見惚れています。何とピュアで自由で心揺さぶられる世界でしょう。こんな絵は大人にはまず描けない。
成長するに従って知識や観念や先入観が積み重なって、自ずと魂が自由ではなくなってしまう。そうでないと生きていけない、生きづらい。
絵を描いた子供たちが大人になってさてどんな人生を送って行くのか、もちろん私にはわかりませんが、幾つになっても、このとき見えていた世界の記憶を、心の端っこにでも保ち続けていてほしい、そう、この絵を見るたびに思います。(六田知弘)

 

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2022.01.21 連載100回「美の棲むところ」
連載100回「美の棲むところ」

月刊美術誌「美術の窓」での私の連載「美の棲むところ」が先日発売された2月号でちょうど100回となりました。
この連載は日本をはじめアジア、ヨーロッパの各地で出会った、有名なものからほとんど誰も知らないであろうものまで、私なりにそこに何らかの「美」なるものを感じた場を写真と文章で(4ページ)構成したものです。
ギリシア北部カストリア地方の小さな教会の外壁に描かれたビザンチンの壁画に始まった連載の、記念すべき100回目は「興福寺」の北円堂の無著、世親像です。
100回というと8年余続いている事になりますが、その間にいろいろな事がありましたが、多くの方々のご協力でここまで続けられた事に感謝いたします。(特にこの連載を企画してくださった生活の友社前社長の故一井健二さんと前編集部長の故小森佳代子さんには深く深く感謝いたします。)
そろそろこれまでのものをまとめて単行本にできたらと思っているのですが、このご時世ではそう簡単にはいかないのが現実です。
いずれにせよ、まだまだこの連載で取り上げて皆さんに見ていただき、その存在を知っていただきたい心揺さぶられるものがいくつもあると思うので、もうしばらくは続けていきたいものと思っています。(六田知弘)

 

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2022.01.14 カンボジアの写真
カンボジアの写真

今、カンボジアの遺跡で撮った写真集を作ろうとと、これまでに撮り溜めた数万枚の写真から4500枚に絞り、それをさらに840枚まで絞った写真を、見開きを作るべく2枚づつ組み合わせる作業をしています。まだまだ絞り込めていないため、パソコン上でほとんど当てずっぽで組み合わせているだけなのですが、これがまた面白い。夢中になってしまい、このトピックスを書かなければならないこともすっかり忘れていました。
これはどの遺跡で、何を象ったものなのかとか、仏教なのかヒンドゥー教なのかとか、何年に撮ったものなのかとか、そんな意味的な部分をできるだけ取っ払って、ただ直感的にに入ってくる画像を組み合わせていくと、今まで私自身が気づいていなかったものがフツフツと現れ出てくる。それが面白い。
もちろん実際に写真集にするときには、信頼できる第三者の目を入れて構成し直す必要がある事はわかっているのですが、今はしばらくここで戯れているのもいいのかな、とも思っています。(六田知弘)

 

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2022.01.07 シロフクロウ
シロフクロウ

正月三日、抜けるような青空で、日差しもポカポカ暖かいので、自宅の周りの丘陵地帯をカメラを持って巡りました。午前10時半頃から歩き出して、家に戻ってきたのが4時半だったので、ほぼ半日歩いていたことになります。歩数にすると約20000歩でした。でも、なだらかな丘陵の落ち葉を踏んで、写真を撮りながらのゆっくりとした山歩きなので疲れは感じず、気持ちよかった。
後半は丘陵伝いに歩いて多摩動物公園に入りました。子供が小さい頃は近くなので毎週のように行きましたが、本当に久しぶり。
中は以前と余り変わっていなかったので余計にかもしれませんが、動物たちを見ながら楽しそうに語らう若い親子連れを見ていると、あれから20数年も経ったというのが嘘のように感じられます。
そんな事を思いながら、ふと横の飼育小屋を見ると、シロフクロウが一羽、私の方を向いて、何も言わずに微笑んでいました。

コロナのオミクロン株の新規感染者が急増しています。みなさん、どうぞご自愛くださいますように。
そして、良き年となりますように!(六田知弘)

 

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