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写真家・六田知弘の近況 2024
展覧会や出版物、イベントの告知や六田知弘の近況報告を随時掲載していきます(毎週金曜日更新)。
過去のアーカイブ
- 2024.10.11 雨の奈良
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ここ一週間、東大寺で仏像の写真を撮っていました。
その間、雨模様の日が多かったのですが、もちろん撮影は屋内なので雨自体は問題はありません。が、法華堂の堂内は、以前から自然光で撮ってみたいと思っていたのですが、さすがに雨の夕刻の堂内は暗すぎて今回は諦めざるをえませんでした。
しかし、ご本尊の不空羂索観音像の力は圧倒的で、それに向き合い、胸の前で合掌した手のうちに挟まれた水晶の珠から微かな光が放たれているのを知ったことだけでも私にとっては大きな喜びでした。
写真は撮影前に撮った雨に濡れた二月堂横の石段です。
今日はこれから新薬師寺の薬師如来像と十二神将像の撮影が待っています。
心を鎮めて仏と向き合えればと思います。(六田知弘) - 2024.10.04 大仏さまの蓮弁
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今日の午前中は奈良の大仏さま
の文字通りお膝元に特別に上らせていただいて、その蓮弁に線刻された如来と菩薩の姿を撮らせていただいていました。
ご存知のように大仏さまは二度ほど火事で焼けていて、今のお姿は江戸時代のものなのですが、大仏さまがお座りになっている台座の蓮弁だけは、創建当時、つまり奈良時代のものが相当数残っているといわれます。
銅で造られた蓮弁の表面にはまさに如来を中心にした仏の宇宙が、流れるような線で描かれているのです。その毛彫(線刻)は今は、肉眼では結構見にくいのですが、カメラの液晶画面に写ってきた画像を見るとまさに驚くべきもので、撮りながら思わず唸ってしまいました。
それが、大仏さまの右脇にある良く知られた如来と菩薩が描かれたものだけではなく、私はこれまで知らなかった、仏の背面側の蓮弁にもいくつもあるのですから驚きです。
なんだか撮っていると、天上からの妙なる音色がシャッター音にまじって私の脳に響いてくるような、、、。
今日は、閉門後には あの日光・月光菩薩の撮影が待っています。
またいずれ皆様に今回撮った写真をご覧いただくときがくると思います。乞うご期待。
写真は南大門の金剛力士像の吽形の横の柱のひとつ。
このすり減って滑らかになった木肌に触るといつも私はホッとします。(六田知弘) - 2024.09.27 ウミユリの化石
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自宅のパソコンの机の上にはいくつもの石が置いてありますが、これはそのうちのひとつウミユリの化石です。
ウミユリは5億年から2億5千万年前の古生代に繁栄していた棘皮動物の一種ですが、それが現在も水深200m以上の深海に生きていて、日本海溝の9千メートルを超える超深海にも群れをなしているということを無人深海探索機の調査でわかったということを聞いたのはもう20年以上も前でしょうか。
光も届かず、栄養分もほとんどないような暗黒の世界に何億年も命をつないできたもののご先祖さまの姿を今、ここで私の掌に載せていることの不思議。
小学生の頃から化石にひかれてきた私が、大人になって写真を撮るという行為にはまったという事とどこか根っこが繋がっているのかもしれないと、手の中で化石を転がしながらふと思いました。(六田知弘) - 2024.09.20 月と水晶と私
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満月に指先につまんだ針入り水晶をかざしました。
水晶を透過した月の光が根元の方に白い点になって光っています。
月の時間と水晶の時間、そして私の時間とが、ほんの一瞬、重ったようにおもいました。(六田知弘) - 2024.09.13 蜻蛉の滝
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吉野の川上村で作家の玄侑宗久さんの奥さんでもある美術作家石田智子さんの展覧会があり、行ってきました。展覧会のタイトルは『 水潺潺(みずせんせん)』白い紙縒り(こより)を繋げて室内に、流れる水のような、宇宙に浮かぶ天の河のような、口では上手く言えない不思議で、引き込まれるような作品です。なかなか吉野の川上村には行く機会はないとは思いますが、一見の価値ありです。
その展示を見た後に、今までにも何度か行って写真を撮ったことがある会場からほど近い蜻蛉(せいれい)の滝に立ち寄ってみました。その時撮ったのがこの写真です。
木々の隙間から日光が滝の部分部分にスポットライトのように当たり、今見た石田智子さんの紙縒りの作品を連想しました。まさしく水潺潺。
まるでそこに神仏が宿っているようで、畏怖の念を抱いてしまいました。(六田知弘) - 2024.09.06 水分神社の西日
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久しぶりに故郷の奈良県御所市の葛木水分神社(かつらぎみくまりじんじゃ)に行きました。
この神社は葛城山と金剛山の間の水越峠にあって、文字通り分水嶺にある神社です。私はどういうわけかこの小さな小さな神社とその近くにあるこれまた小さな「行者の滝」が好きで、カメラを持ってよく行きます。
この神社に何度行っても誰か人と会った記憶が一回もないのですが、そこがまたこの神社の良いところ。
今の季節午後4時すぎごろから西日が境内に差してきて、それが本当に瞬く間に移動していくのですが、そのゆらめき動く光を目とカメラで追うのが、なんとも心安らぐのです。
これが何百年も、もしかすると千年以上も続いてきたのかもしれません。そう考えると私という存在も板の間に落ちて陽を浴びている葉っぱとどう違うのかと、、、。
ところで大阪市立東洋陶磁美術館で今月の29日までリニューアルオープン記念特別展「シン・東洋陶磁ーMOCOコレクション」が開催されています。
世界的な東洋陶磁の名品が最高のライティングのもとで堪能できます。
第一室には私の写真作品「壁の記憶」シリーズのうちの5点が中国や朝鮮の名品とともに展示されています。
展覧会終了まであと3週間ほど。どうぞお見逃しなく。(六田知弘) - 2024.08.30 楕円の石
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探し物をしていたら居間の隅っこに丸い石が2つあるのが見えました。
一つはほとんど球体と言っていいほどの黄色味がかったもので、もう一つはこの写真の楕円形の白い石。
手にとってみると少し埃を被っていますが、何ともいえない肌触り。思わずほっぺたにあててみました。
この石たちは確か、息子が中学生の頃に、写真を撮るために新潟県の海岸沿いの、トンネルの中に駅があって有名な筒石というところに一緒に行った時に近くの海岸で拾ったもの。
するともうあれから18〜19年経ったということです。
我々二人はその頃とは見た目が随分変わっただろうけど、この二つの石はほとんど変わってはいないように見えます。
でも、あの時拾ってこなければ、波に揺すられて今頃は小さな砂粒になっていたはず。そう考えると人間からみると永遠や不変の象徴のような石であってもやっぱり時の流れに逆らうことはできないのでしょう。
なんて、掌にのせた石を揺らしながらぼんやりと思っています。(六田知弘) - 2024.08.23 手の中のカマキリ
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橿原の家から東京に戻る途中、近鉄の平端駅から中学生らしい元気な3人組の男の子が乗ってきて、そのうちの2人が私の左の空いた席に座り、残りの1人がその前に、左手で吊り革につかまって立ちました。
見ると、右手に何かを握っているようだったのでよく見ると、握り拳の隙間から茶色の小さなカマキリが三角の顔を出しています。鎌のような前肢には白と黒の鮮明な紋様が見えるので、コカマキリでしょう。
なんだかこういう光景は最近はほとんど見ることなかったので懐かしくなって、思わずスマホを出して彼に目の前にカマキリを握った右手を出してもらって撮ったのががこの写真です。(当の本人はなんでこんなのを撮られるのか怪訝そうでしたが、、、。)
そういえば私の息子も子供の頃はえらく虫や小動物が好きで、ヒキガエルを捕まえて、手に握って誇らしげに持ち上げ、周りの子供らに見せつけたときの驚きを思い出しました。(六田知弘) - 2024.08.16 施無畏印
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昨日は、奈良の新薬師寺に今度撮影させていただく薬師如来坐像と十二神将像の下見とご挨拶に行ってきました。
十二神将のうち婆娑羅大将だけは16〜17年前に撮影させていただいた事があるのですが、ご本尊の薬師如来は、昔から好きな仏様だったのですが、撮影の機会はありませんでした。
今回、この4月から始まったnippon.comの「仏像にまみえる」というネットでの連載の一つとして初めて撮影の機会をいただくことになりました。
今現在、その薬師如来坐像の台座はちょうど修理中で、仮の台に載っておられるのですが、なんとなくではあるのですが、こんな状態でもよければ撮っていいよ、とお薬師さんが言っているように思われて、予定通りこの秋に撮らせていただくことにしました。
あのふっくらとした優しいお顔もさることながら、今回は下見であるにもかかわらず、施無畏印の右掌の豊かさに、私はすっかり癒された気持ちになりました。(六田知弘) - 2024.08.09 アリ地獄
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故郷の奈良県御所(ごせ)にある玉手山に行きました。山というより丘といった方がよいようなところですが、小さなときから私はこの山でよく遊びました。
玉手山には138年も生きたという第6代孝安天皇陵があります。そしてその他に3つの小さな神社があります。
頂上にあるの金比羅神社の前には小さな拝殿(?)があってそこが土間になっていて、何十年も前からその土間にはアリ地獄が住んでいます。
細かい土が広がり、屋根があって水に濡れないし、めったにその土間には人も踏み入れないのでアリ地獄にとって理想の住居なのでしょう。
わたしはこの神社にいく度にここのアリ地獄を撮るのですが、今日は特別大きな摺鉢上の巣と地表を這った線状の跡形が残っていました。
それにしてもこのウスバカゲロウの幼虫が数十年もの間、代々ここに住み続けてきたということですからよっぽど暮らしやすいところなのでしょう。
アリ地獄にとっては天国のようなところなのかもしれません。(蟻にとっては地獄なのかもしれませんが、、、。)(六田知弘) - 2024.08.02 モノのアウラは写るのか
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ここのところ「アウラ」というものについてぼんやりと考えています。
アウラはベンヤミンという哲学者の考えた概念で、あるものを覆っている、というか、まとっている、東洋でいう「気」のようなものなのですが、それはもちろん目に見えるようなものではなく、五感を通じて感じられるもので、その強弱はありますがこの世に存在する全てのものがもっていると私には感じられます。
そういうと、なんだかオカルトチックなものに捉えられてしまいそうですが、そうではありません。
例えば仏像などを見ていると単に彫刻というだけではなく、なんとも言葉に言い表す事が難しい不思議な雰囲気をまとっているものが多いと思うのですが。
それは、仏像に関してだけに言えるものではなく、人であっても、風景であっても、建築物であっても、津波にのまれ、水が引いたあとに地面に残された日用品であっても、壁であっても、石であっても、蓮であっても、「いま、ここ」という時空に存在するすべてのものがもっているもの。
そういうアウラというものがあるとしたら、それを写真で捉える事ができるのか否か。
私はこれまでずいぶん長く写真を撮ってきましたが、あらためて考えてみると、このアウラのようなものに惹かれて撮り続けてきたように思います。
ユジェーヌ・アジェ、アウグスト・ザンダー、ウオーカー・エヴァンス、ロバート・アダムス、そして小川一真、東松照明・・・。私が惹かれてきた先輩写真家たちは、表現の形はそれぞれ違っていても、みなこの現象の世界のものが発する、目に見えないアウラのようなものに惹かれてレンズを向けてきたのじゃないか。
ベンヤミンは1930年代に、写真というものによってモノのアウラは凋落すると書きましたが、私は逆に、写真によってモノがその時空で放っていたアウラをも「記録」し、残す事ができ、そしてその写真を見た人のどこか深くになんらかの「記憶」として残す事ができるものと信じているのですが、どうでしょう。(六田知弘) - 2024.07.26 アンドレイ ルブリョフの画集
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元美術書の編集者の方から14、15世紀に生きたロシアのイコン作家アンドレイ ルブリョフの画集をいただきました。
それを家に持って帰って見ていると、なんだか固まっていた脳の一部が清流のような水音をたてて流れ出していくような、奇妙な感じになりました。
1973年にハンガリーで出版されたこの画集は印刷は決してよくはないのですが、画の切り取り方とページ構成が抜群で、思わずルブリョフの宇宙に引き込まれてしまいます。
アンドレイ ルブリョフの存在はタルコフスキーの映画「アンドレイ ルブリョフ」で前から知っていたのですが、彼が描いたものは、あの有名な「三位一体」と、あとキリストの単体像くらいで、他はほとんど知らなかったのですが、今回この画集を見て、その存在のスゴさに唸ってしまいました。おかしな例えかもしれませんが、私にとってはイコン版運慶のような存在と言ってもいいようなものかもしれません。
この画集は私には相当刺激的だったようで、手に取った日の翌朝とその次の日の朝方、今までに見た事がないような色合いの夢を続けて見ました。
いつかルブリョフの画を撮ってみたいものだと思います。(六田知弘) - 2024.07.19 葉上の花びら
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怪我をした和歌山の友人のお見舞いに行ったついでに近くの蓮池に寄ってみました。
行ったのは午後3時頃だったのでほとんどの花は閉じていました。
でも閉じた花の隙間から花托やオシベを覗き込むと、柔らかい薄紅色の光に満ちた空間があって、それがなんともまた艶めかしい。
その横には、葉っぱの上に一弁の小さな花びらが載っていて、表面張力でできた水玉の上で、風に吹かれて、まるで方位磁石の針のように右を差したり左を差したり。
ただその様子をボンヤリと眺めているだけで、意味もなく、ありがとう という言葉が出てきたりして、、、。(六田知弘) - 2024.07.12 壁 ワルシャワ
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ここ2-3日、ワルシャワで撮った壁の写真の整理のためにパソコンに向かっています。
随分たくさん撮ったので、全部に目を通してセレクトするには相当時間がかかりそうです。でもなかなか面白そうなものが写っているようで、大きく引き伸ばしてみるのが楽しみです。
今回は新しく調達した超高画素数のカメラで撮ったので、特大プリントしてその威力を早くみてみたい。
この写真は、スマホで撮ったものなのですが、なかなか微妙な不思議な色あいで、今までとはちょっと違うでしょう。
ワルシャワの旧市街は第二次世界大戦中にナチスドイツによって徹底的に破壊されたのですが、戦後その建物群を以前のものと、壁のシミひとつも寸分違わず復元しようとしたとのこと。そしてその復元から現在まで既に5〜60年を経ている。その間の時間と、それ以前の時間(?)の微妙な堆積の上に今の壁がある。それが私には不思議でたまらないのです。(六田知弘) - 2024.07.05 帰って来ました。
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3日の夜、なんとか無事に帰国しました。
今回は2週間ほどの撮影旅行でしたが、コロナ後初めてのヨーロッパで、物価の高さと円安のせいで、かつてないほど切り詰めた旅でしたが、体調もよく、大きなトラブルもなく、充実した2週間でした。
移動日を除外して、一日の平均歩数は2万5千歩余り。暑い中、と言ってもカラッとした暑さで日本ほどしんどくはなかったのですが、よく歩き、よく撮りました。
撮影数は5600カット余。ほとんど撮りっぱなしの状態でした。少し疲れても喫茶店などには高すぎて入れないので、教会やモスクで休ませてもらって、また歩き出します。この歳になってもカメラを持つと魔法のように元気になれる自分に驚いてしまいます。
写真は最後の撮影地イスタンブールの金角湾にかかるガラタ橋のたもとからの夕方(と言っても午後8時くらいですが)の景色ですが、一日の撮影を終えて、波止場のベンチに座って対岸のモスクや波を見ていると、40年前に同じ場所から見た時のことを思い出しつつ、いつのまにかうつらうつらと居眠りをしてしまいました。
今見えている世界は、夢かうつつか、、、。
ポーランドのクラクフのユダヤ人が多く住む地域にある小さなシナゴーグ(ユダヤ教の教会)の白い壁がいまも脳裏に焼きついています。
さて、どんな写真が写って来てくれたのでしょうか。楽しみです。(六田知弘) - 2024.06.28 イスタンブールより
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今、イスタンブールのホテルに着きました。
昨夜遅く、ポーランドのクラクフから飛行機とバスとタクシーと歩きで、やっとの思いでイスタンブール新市街の小さな宿に辿り着いたのが深夜の1時。
そこではただ寝るだけで、バスとトラムとまた歩きで今、やっとこれから4日間滞在するヨーロッパ側の旧市街スルタンアフメット ジャーミイ近くホテルに着いたところです。
イスタンブールは実に40年ぶり。
新市街はすごく近代的な高層ビルが林立し、タクシムの辺りは深夜にかかわらず人で溢れかえっていました。
それに引き換え、この旧市街はヨーロッパ側にあるのに結構アジア的な雰囲気がまだまだ濃厚にあって、心底ほっとしています。
今、コーランの声が外から流れて来ました。近くのスルタンアフメット ジャーミイの尖塔からでしょうか。ああ、イスタンブールにまた来れた!
さて、あとちょっとだけ休んでから、また、腰にこたえる重いカメラをもって、壁を撮りに出かけるとします。
写真は昨夜イスタンブール新空港への着陸体制に入ったときの窓越しの景色です。右の方に金角湾に掛かる3つの橋がライトアップされて鮮やかに見えました。一番手前が懐かしいガラタ橋。40年前、あの橋のたもとに浮かぶ小船の中で揚げた魚フライのサンドウィッチを食べたのを懐かしく思い出しました。
元気で毎日、壁を撮りまくっています。
でもこちらも暑そうで、、、。イスラムの教会ジャーミイに、時々入らせてもらいながら休み休みやらないと。(六田知弘) - 2024.06.21 ローマの壁
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壁の写真を撮り始めたのはここローマ。ローマから東に直線距離にして約30kmのポリという町で『ポリの肖像』を撮っていた時に、たまたまローマに出かけた時に町中の壁が面白くて撮り始めたのですが、それがかれこれ、30年近くも前になります。
それから国内外の壁を撮り続けて、「壁」のシリーズは私のライフワークの一つとなりました。
写真を撮っている時の私の意識はほとんど変わっていないのに、時だけが風のように流れていきます。
ただ意識は変わってないようでも、一日カメラを持って壁を撮り続けていると足は痛むし、腰がキツいし、暑さで気が遠くなるし。若い時はこんなことはなかったのですが(笑)
とはいえ、午後4時過ぎに通りかかった薬局の前の表示板に示された気温を見てちょっと呆然としてしまいました。な、なんと摂氏39度!! そして夜にスマホの歩数計を見て更にびっくり。なんと初日の歩行数は31817歩!!
こりゃ身体がもたんと、2日目からは通りかかった教会に入ってしばらく身体と心を休めてから再び歩きだす、そしてまた疲れるとべつの教会で一休み。そんな事を2〜3度繰り返していくと、だいぶ楽に感じられ、なんとなく壁が昨日よりもよく見えてきたりして。それも歩数は25000歩を超えてしまっていました。
新しく買ったカメラも暑さのせいでか、はたまた、あまりにもたくさん撮り続けたせいでか、オーバーヒートになってしまって調子が悪く、、、。でもなんとか写ってくれているようで、今、撮影した画像をハードディスにバックアップし終えて、ほっとしているところです。
まだ撮影の旅は始まったばかり。予備のために、普段使っているカメラを持ってきてはいるのですが、なんとかこのカメラが持ち堪えてくれますように。
22日からは始めてのポーランドです。
さてどんな壁が待っていてくれるのでしょうか。(六田知弘) - 2024.06.14 「壁」を撮りに
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阿曾美術での「蓮」展も今日14日が最終日。
銀座のど真ん中とは思えない静かで落ち着いた空間で、みなさんゆっくりとたゆたっていただけたことと思います。
私が仕事で在廊できなかった時もありましたが、おいでいただいた方々に心より感謝いたします。
ところで、それとは打って変わって、(と言っても蓮は15年、壁は28年撮り続けているテーマなのですが)18日から「壁」の写真を撮りに2週間ほどヨーロッパに行ってきます。
久しぶりのヨーロッパですが、物価高と円安で以前のように長くは滞在できないし、極めて貧乏旅となる事は覚悟の上ですが、今、無性に壁を撮りたく、新しく買った中古の超高画質カメラを持って、ローマとポーランドのワルシャワとクラクフ、そしてイスタンブールの壁に向かってきます。
さて、どんな壁がどんな表情で迎えてくれるのか。とっても楽しみです。
(注)添付の写真はヨーロッパのものではなく自宅近くの住宅の壁です。(六田知弘) - 2024.06.07 ハゴロモ
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家の植木の葉っぱの上に何やらトイレットペーパーの切れっぱしのような白いものが付着していました。
しばらく見ていると、それがゆっくりと動きました。始めは風で動いたのかと思ったのですが、さにあらん、見えない糸で引っ張っぱられたように前に5センチほどゆっくりと進んだかと思ったらいきなりクルクルと周り出したり不思議な動きをします。
そこで、ああ、アイツかと以前高幡不動の裏山の道端で見た虫だという事を思い出しました。そしてこの頃ものの名前がなかなか出てこない私にとっては珍しく「ハゴロモ」という名前だった事もすぐに頭に浮かびました。
ネットで調べてみると、こいつは小さく地味な蛾の幼虫で、元々奈良、大阪、和歌山辺りに生息していたのだけれど、最近は生息範囲が広がっているとの事。なんだか奈良県に生まれた私としては親近感が沸いてきたりして。
それにしてもなんとユニークな姿なんでしょう。何か擬態の一種なんでしょうか?擬態だとしたらこういう姿になることによってどういう効果が生じているのかちょっと調べてみたい気もしてきました。
ところで、「蓮」の個展を東京銀座の画廊 阿曾美術で14日まで開催中です。(10日月曜日は休廊)
お近くにいらっしゃることがあればお立ち寄りいただければ嬉しいです。(六田知弘) - 2024.05.31 光をはらむ蓮 銀座での写真展
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しっかりと開いた蓮の花に木漏れ日がピンポイントで当たって、あたかも花の中に電球が仕込まれているかのように光をはらんで見えました。
この写真はコロナ禍以前に台北の国際空港がある桃園の田園地帯の蓮田で撮っものです。
これを見ていると、蓮台のうえに仏さんが立っているという仏像のイメージが創り出されたのもうなづけるように思えます。
さて、6月5日から14日まで銀座の阿曾美術で「蓮」の展覧会をします。(10日は休廊です。)
蓮の写真展はちょうど10年前に大阪市立東洋陶磁美術館で開催された展覧会「蓮 清らかな東洋のやきもの×写真家・六田知弘の眼」でご覧いただきましたが、それ以降に、また新たに撮ったものもふくめてご覧いただけます。
お立ち寄りをお待ちいたしております。(六田知弘) - 2024.05.24 雲中の満月
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帰宅途中、高幡不動の裏山に沿った300mはあるだろう坂道を、いつものように運動のために、ちょっと早足で上って行くと、山の方から ホッ、ホッとフクロウの声が聞こえてきました。
足を止めてその声の方に目を向けると、山の上にバックライトが当たっような鱗雲がかかていました。バックライトのように見えるのは月の光だろうことはわかったので、しばらく立ち止まって見ていたのですが、雲が流れてもなかなか月は姿を現しません。フクロウも鳴いてくれないのでまた、また黙々と坂のてっぺん目指して歩き始めました。
そして少し息切れがしてきたころにふと見上げると頂上近くの夜空に浮かぶ雲の間から満月がやっと顔を出してくれました。(六田知弘) - 2024.05.17 モノクロのカメレオンとリクガメ
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ヒエロニムス ボスの絵かと思いました。
東京市ヶ谷の外堀にずっと昔からある釣り堀の体色した看板です。おそらくかつてペットショップを併設していたのでしょう。
それにしてもこのカメレオンやリクガメの写真を見ているとなんだかとっても懐かしく感じます。
おそらく私の心の奥底にこんなカメレオンやリクガメのようなものが棲んでいるような、、、。
ところで、前にも書きましたが、9月29日まで大阪市立東洋陶磁美術館でリニューアル記念企画「シン・東洋陶磁-MOCOコレクション」展が開催されています。
東洋陶磁器の世界的名品ばかりが新たな設備とライティングのもと、ぎっしりと並んでいて壮観です。
中でもやきものに当たるライトは本当に素晴らしく、形や色ばかりではなく、その質感の素晴らしさに思わず唸ってしまいます。やきものは特にこの質感が本当に大事だと私は思っています。この質感の違いがわかるかわからないかでやきもののもつ美の捉え方が違って来るのです。
陶磁器に興味がある人もない人もこの展覧会は必見です。
また、PRですが、第1展示室には天下の名品の背景に私の写真作品「壁の記憶」シリーズが設置されています。こちらも一緒に楽しんでいただければ嬉しいです。(六田知弘) - 2024.05.10 台北の水餃子
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今週の月曜日から息子と一緒に台北に来ていて、今日帰国するところです。
コロナ禍の前には故宮の撮影などで台湾にはよく来ていたのですが、かれこれ4年ぶりの台北です。
故宮に展示されている汝窯の表情も、そのスタッフも町の様子も雙城夜市の屋台の水餃子の味もほとんど変わらず、ほっとしました。
この夜市の水餃子については、以前にも紹介しましたが、これは本当に絶品です。地元の人も、台湾駐在の日本人も、そしてガイドブックに載ってしまったせいか日本人旅行者にも大人気で、いつ行っても列を作ってならんでいます。私は日本では食べ物に列を作るのはちょっと敬遠しているのですが、ここのニラ水餃子は別。コロナまえの台北滞在時はほとんど毎日通っていたし、今回も定休日を除いての3日間、毎夜ここにかよいました。あまり私に従わない息子も珍しく、今日も水餃子にしようと。
ところで写真の話になりますが、二日間、様々な匂いと音とが混じり合うちょっとディープな旧市街界隈を自分自身の遠い記憶も重ね合わせながら撮り歩いていると、これはこれでとても豊かで魅惑的な小宇宙であると思えてきました。
北京の胡同(フートン)のように再開発の波に飲まれて消えてしまわない今のうちに、そしてAIによってとって代わられるその前に、この有機的な魅力溢れる、豊かな世界を、写真によって、そして台湾の人の手で、しっかりと捉えておいてもらいたい。そう願わずにはおられません。
(と、偉そうに書きましたが、そうした仕事はすでになされていて、単に私が知らないだけかもしれませんが、、、。)
ところで、Webサイトnippon.comでの連載「仏像にまみえる」も5回目となりました。
よかったら覗いてみてください。(六田知弘) - 2024.05.03 雨の室生寺
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小雨降るなか、新緑の室生寺に行ってきました。
門前の駐車場に車を停めて一歩外に出ると室生寺の山も、その隣の龍穴神社の山もガスがかかり、それが流れて山の木々が見えたり霞んだり。余りにも絵に描いたような景色のために、かえってちょっと戸惑いながらスマホで撮ったのがこの写真です。
山門をくぐってすぐ左の池の面をしばらく眺めてから金堂につづく鎧坂の濡れた石段を上っていくころには新緑の濃い香りが肺の奥まで染み込んで、ここのところ ちょっと落ち着かぬ気持ちも穏やかに、、、。石段の脇の石楠花もかろうじて残っていてくれて有難い。
雨なので今回は奥の院はパスをしたのですが金堂や五重の塔辺りを自然と人間との繋がりをぼんやりと考えながら歩きました。
そして最後に新しくできた宝物殿に入ったのですが、その瞬間に冷めました。
これは実際ではなくバーチャルリアリティの世界。
生きているうちにもう一度、お堂に戻ったお姿を見てみたい、、、。(六田知弘) - 2024.04.26 展示物のライティング
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奈良博の「空海」展に行ってきました。写真は、博物館の壁に貼ってあったポスターを撮ったものですが、行ってよかった。
金剛峯寺や東寺など空海ゆかりの寺などから出品された曼荼羅や密教宝具などあらためてそれらが形作る密教的宇宙の深淵さとそのエネルギーに圧倒されました。それとともに空海の書跡の解説を読みながら見つめていると、空海の持つ驚くべきパワーとともに、その優しさというか、人に対する思いやりの念など「人間空海」に取り込まれてしまってすっかり空海ファンになってしまったようです。
ところで話は飛びますが、最近、関西のいくつもの博物館や美術館、そして寺院の宝物殿などの展示を見て思うのですが、つい3〜4年ほど前と比べて展示物に当てる照明が格段に良くなったと感じます。
今回の奈良博の仏像でもそうでしたし、1〜2年前の聖林寺の十一面観世音像のライティングには驚きました。
法隆寺金銅の釈迦三尊像の照明もよくなったし、宝物殿の百済観音もガラス越しなのが少し残念ですが、このままのライティングで撮影できるのではないかと思えるほどです。
興福寺の国宝館や東大寺ミュージアムも凄くいい、そして今回リニューアルした大阪市立東洋陶磁美術館の照明も本当に素晴らしく、やきものの色や形はもとより、その釉薬の厚みや質感までしっかりと感じられて、朝鮮の白磁などは思わず触って頬ずりをしたくなるほどです。
LEDの質が上がったという事はもちろんでしょうが、何よりそれを使いこなす人材がいるという事が大きいでしょう。
とにかくこのままのライトだけで十分写真の撮影に耐えられるほどなので、私の仕事もあがったりになってしまったりして、、、(笑)。(六田知弘) - 2024.04.19 100年前のキリギリス
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京都大学総合博物館に展示されている東南アジアで採集されたキリギリスの仲間の標本です。
ラベルを見ると1923年と書いてあり、採集されたときなのか、標本にされた時なのかはわかりませんが、いずれにせよ100年も前にできたもの。
これに私は引っかかって、そこからしばらく動けなくなってしまいました。
足がはずれて羽の先端も破損したこんなもののどこに惹きつけられるのか私自身でもよくわからないのですが、とにかくムズムズと写真を撮りたいという欲望が湧き出してきて、、、。
因みにこの写真はスマホで撮ったのですが、しっかりとしたカメラで撮りたい!
他にも展示されていないけれど収蔵庫に眠っていて私に撮られるのを待っている、古い、様々な種類の標本が数え切れないほどある。私にはそう思えてならないのです。(六田知弘) - 2024.04.12 花まつり 連載「仏像にまみえる」
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私はいつも高幡不動の裏山を通ってお不動さんにお参りしてから駅にいくのですが、4月8日はお釈迦様の誕生を祝う花まつり。
本堂の前には、誕生釈迦仏に甘茶をかける人たちが列をつくっていました。
周りには赤、黄、ピンクの花が飾られて暖かく、柔らかい光の中で、頭からとろっとした甘茶をかけられる生まれたばかりのお釈迦さまはとっても気持ちよさそうに見えました。
ところでその4月8日から、日本の社会や文化を国内外に発信するWebサイトnippon.comでいよいよ新連載「仏像にまみえる 六田知弘の古仏巡礼」の本番がはじまりました。
第一回は、花まつりに合わせて、愛知県正眼寺の銅造誕生釈迦仏です。
この仏像は8センチととても小さなものですが、鍍金も極めて美しくなんとも可愛いお姿です。
普段は奈良国立博物館に寄託されていて、奈良博に行く度にいつか撮らせてもらいたいと思っていたもの。飛鳥大仏や法隆寺の釈迦三尊像などを造ったとされる止利派のお顔の特徴をもっていて、おそらく日本最古の誕生仏であり、かつ日本最古の仏像のひとつでしょう。
それにしてもなぜこんなに鍍金がしっかり残っていて保存状態がいいのでしょう。ある意味これはひとつの奇跡のようにも思います。いずれにせよ私にとっては特別な仏像のひとつです。
皆さんも是非覗いてみてください。(もちろん見るのは無料です。)
この連載は週に一回のペースで年間で50回の予定です。
第2回目は4月14日にアップされます。さて次は何が来るのかお楽しみに。(六田知弘) -
- 2024.04.05 法隆寺のクスノキ、 新連載はじまる
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この2週間ほどの間に法隆寺を4回も訪れました。
今回最初、南大門をくぐった瞬間にいきなり鳥肌が立ちました。何に反応したのかはわかりませんが、法隆寺という場が発するある波動のようなものに私の身体がシンクロしたのかもしれません。境内のそこここで、突然、涙が滲むこともありました。その理由は私自身よくわかりません。
写真は聖霊院の前の池の側に立つおそらくクスノキだと思われる古木の根元付近を撮ったものです。
樹齢何百年なのでしょうか?もちろん私が子供の時からこの木はここにこうしてあったのは覚えているのですが、なんだか今回は妙に引きつけられる存在です。
法隆寺が建てられて1350年ほど。
私が小学生のころ課外授業で、法隆寺は1300年前に建てられました、と五重の塔の前にみんな並んで体育座りをして、そういう説明を先生から受けた事を覚えていますが、あれから半世紀以上も経ったとは(笑)。
法隆寺からすると、このクスノキなどはまだまだ新参者でしょうが、それならば私なんかの存在は、無いに等しい。そういう私がカメラでその姿を写したいと思っている。その不可思議さ・・・。
ところで、次回にまた詳しくお知らせしますが、日本の社会や文化など様々情報を国内外に7ヶ国語で発信するWebサイトnippon.com において、私の写真で日本の仏像を巡る連載「仏像にまみえる」が4月2日から始まりました。
プロローグとして、初回は解説をしていただく駒沢大学教授 村松哲文氏による 仏像鑑賞入門:尊像と対話するための基礎知識、 4月7日の2回目は私に対するインタビュー記事 そして翌日4月8日からはいよいよ本番となります。
第1回目としてどの仏像が来るのかは見てのお楽しみ。私がこれまでに撮った写真に加え、これから新たに撮り下ろす仏像も数多く予定していて、私としても本当にワクワクです。(六田知弘) -
- 2024.03.29 淀屋橋のカフェから
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今、大阪の淀屋橋駅上のカフェにいます。
例によって大阪市立東洋陶磁美術館での撮影があって、美術館に行く前に朝のコーヒーを飲みながら窓越しに橋の上の人や車の行き来をぼんやりと眺めています。
私の隣の老人は市立図書館のラベルのついた本をスマホ片手で操作しながら読んでいます。タイトルは『宮沢賢治の仏教思想』。
ここから、何度こうして、この景色を眺めたことでしょう。
時が緩やかに、しかし否応なしに流れていきます。
大阪市立東洋陶磁美術館は長かった工事を終えて4月12日にリニューアルオープンされます。
エントランス部分が変わっただけではなく、作品の照明も非常に良くなって、朝鮮の白磁なんかはその肌の質感があまりにもリアルで思わず頬ずりをしてみたくなるほどです。今までに何度も見たことがある人も、あらためて見にくる価値は大ありです。
「天下無敵」と名付けられた展示室第一には 朝鮮の青花辰砂 蓮花文 壺や北宋定窯の白磁刻花 蓮花文 洗などの超名品が展示されていて、その背景にはなんと私の「壁」シリーズの写真作品数点が設置されています。作品鑑賞の邪魔にならないかと、私としてはちょっと落ち着かないのですが、まあそれも含めてお楽しみいただければ嬉しいです。(六田知弘) -
- 2024.03.22 法隆寺
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今、法隆寺に来ています。
中門の仁王像のところにいたら、東の方から笙のような調べが流れてきました。何か法要のようなものをしているのかと思ってそちらの方に行くと西院伽藍に隣接する聖霊院で聖徳太子の命日の行事「お会式」が執り行われていました。
中を覗くと、色とりどりの供物が台の上に飾られていて、御簾の向こうの燈明だけがともった薄暗い空間に紫の衣と白の衣を着た数人のお坊さんが笙の音に包まれて、経を上げていました。
遠目でですが、うしろからの光を受けた白い衣は光そのものを孕んでまるで白蓮のように内側から発光しているように見えました。無性に写真が撮りたくなりました。が、許可を得ていないのでそれは叶わずまたの機会ということで。
外に出ると正面の左右に高い幡が立てられていて、大きな龍頭に掛かった幡が青空のもと、初春の風を受けてはためいていました。
ああ、法隆寺、撮りたいです。(六田知弘) -
- 2024.03.15 宇治川の夕日
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仕事で京都 伏見区に来ています。
撮影が終わり、宇治川の脇の駐車場に戻ってきたら堤防の向こうに夕陽が落ちるところでした。
お母さんとお兄ちゃん、そしてその妹でしょうか。楽しそうにおしゃべりしながら自転車で夕陽に向かって走って行きました。(六田知弘) -
- 2024.03.08 「92の春が来た」
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私の好きな画家 上田泰江さんの個展が銀座の画廊 阿曾美術で始まりました。
今回は小品が多かったのですが、見入ってしまうものばかり。
写真の作品はその時には展示されていなかったのですが、新しくできた画集から撮らせてもらいました。
現在上田さんは94歳。この「92の春が来た」というのは2年前の92歳の時に描かれた作品だと思われます。
実物を見られなかったのはちょっと残念ですが、画集を見ていても引き込まれます。
上田さんの作品に触れると私の胸の中の襞を上田さんの大きな掌で撫でられているような不思議な感覚に陥ります。いつか私もこんな写真が撮れるようになりたいものです。(六田知弘) -
- 2024.03.01 円空展
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大阪のハルカス美術館で開催されている「円空」展に行ってきました。
夕方行ったこともあってか会場は空いていて、たっぷり2時間楽しめました。
なかには写真撮影OKというものもあったのでスマホで一応撮ったあと、コインロッカーに入れていた一眼レフのカメラを取り出して、周りに人がまばらにしかいなかったので、この「両面宿儺」なんかは結構しつこく撮りました。(この写真はスマホで撮ったものですが。)ガラス越しだし、思ったようなライティングができないということで少々歯痒いところもありましたが、楽しい時間を過ごす事ができました。
展覧会の見せ方にはだいぶ不満もありましたが、展示品はとても充実していたので満足です。
何度も現地でお会いしている吉野の天川村栃尾観音堂の護法神像に導かれてか、円空は本来、修験の行者だったことをこの展示で今更ながらあらためて知った思いです。(六田知弘) -
- 2024.02.23 2月のフクロウ
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2週間ほど前の温かい夜のこと。
まだ駆け出しのカメラマンだった頃にお世話になった先輩を偲ぶ会からの帰り道、高幡不動の駅からお不動さんの裏山に沿った長い坂道を上りきったところで、ふと見上げると一本の木になぜだかライトがあたっていて、晴れた夜空を背景に電磁波を絵に描いたような(?)不思議な姿が目にはいりました。
思わずスマホをポケットから取り出してシャッターを4〜5回押したうちの一枚がこの写真です。
こんな暗いのによく写るものだと画面を見て感心しているうちに気づいたのですが、写真を撮っている間になにやらその木の向こうの裏山から聞こえていたような。そう思って聞き耳を立てていると、フフ、フーフ フーフと結構大きな、ゆっくりとした鳴き声が。フクロウでした。
10年くらい前まではお風呂に入っていた時などにフクロウやコノハズクの声が窓の外から聞こえてくる事が時々あったのですが、本当に久しぶりです。
もう一度鳴かないかと木の向こうの裏山の方にしばらく耳を立てていたのですが、それっきり。
フクロウも向こうのほうに行ってしまったのでしょうか。(六田知弘) -
- 2024.02.16 唐招提寺の釘隠
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暖かい日の午後、まさに春雨のような静かな雨に濡れて久しぶりに唐招提寺を訪れました。
子供の頃から大好きな千手観音を仰ぎ見ていると半世紀も経っているはずなのに時の経過などなかったかように、あの時と同じ自分がここにいて、この位置からこの観音さまを見上げている、そんな錯覚を覚えてしまいました。
本当に時間は過ぎていったのでしょうか? こんなふうに感じる事は時々あるのですが、、、。
時間などは一直線に流れているのではないのじゃないか、川の流れのように、うねりながら、絡みながら流れているのじゃないか、そう中学からの下校時に葛城川の橋の上から水の流れを見ながら考えたときのことを、ふと思い出しました。
さて、写真はその唐招提寺金堂の大きな釘隠し。創建当時のものではなく何代目かのものなのでしょうが、古い木材に差し込まれた金属の光沢とその肉饅のような形を見ていると思わず手で触ってみたくなってしまいました。釘隠しの周りの木材の修理痕も好ましい。(六田知弘) -
- 2024.02.09 古い骨格標本
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東京駅の丸の内側にあるKITTEビルの2階に東京大学の動植物標本を集めて展示する施設があり、近くに行った時にはよく立ち寄ります。
そのガラス貼りの展示ケースの中に並べられた戦前に作られたと思われる古い、もう色が抜けたり、シミがついたり、破損したりしているネズミやシギやサメやカエル、コウモリ、羊歯類やオニバスなどの標本を覗いているとついつい時間を忘れて見入ってしまいます。
ああ、これを撮りたい!そういう欲求がムズムズと湧いてきます。
台湾国立博物館にも日本統治の頃に集められた数多くの古い標本があって、以前撮影の交渉をした事があるのですが、様々な事情で立ち消えになってしまいました。
何でこんなものにそそられるのかわかりませんが、とにかくめちゃめちゃ撮りたい被写体です。(六田知弘) -
- 2024.02.02 床面
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いつも行く鍼治療院がある建物の玄関先の床面に面白い文様を見つけてスマホで撮りました。
コンクリートを塗って、まだ固まりきらないうちに建築資材なんかを置いてできた型なのか、あるいはコンクリートの袋の紙なんかを雨よけのために被せたためにできてしまった痕なのでしょうか。
見ようによっては、キュビズムの絵画作品にも見えます。
二十数年間撮り続けている「壁」もそうですが、人間の行為によるものには違いないのですが、意図せずにできてしまった形の中に面白いものが秘められている。
それに時間が堆積してその秘密めいたものがより濃厚になっていく。
そんなものに私はなぜ惹かれるのか、あまりよくわからないのですが、、、。(六田知弘) -
- 2024.01.26 オウムガイ
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能登半島地震では地盤の隆起が所によっては4m近くも生じて、海岸線が100m以上も遠のいたり、漁港の海底が露出して漁船が出せなくなったりして地元の漁師さんが困っているという報道がありました。
宇宙に地球が誕生して46億年。地殻がある程度固まって陸地ができた後にも常に地盤は変動し続けて今があるのですが、今回はその変化の一端をリアルタイムで見て、あらためてその変化の中で我々が、そしてすべてのものが、今、ここに「存在」しているということの不思議を思ってしまいました。
写真はオウムガイの化石ですが、1億年以上前に実際に生きて海中を漂うように泳いでいた時があったわけですが、それが死んで土に埋まり、やがて化石化して、地殻変動とともに陸上に持ち上げられた。それを誰かが発掘して、多くの人の手を経て今、私の手のひらの上にのっている。
そしてこれからも様々な形に変化し続け、やがて分子や原子まで分解されて、また様々な現象世界の一部となっていくわけですが、、。
そうした変化し続ける「存在」の一瞬の現れをカメラで写していきたいと思っています
と、被災地から遠く離れた所にいる私は、ずいぶんのんびりとしたことを書いてしまいました。
家族や知人をなくし、家を無くし、仕事を無くした今の被災地の人たちからするとそんな御託などどうでもよく、生きのこるための医療や食料や衣料や水や安心できる寝場所が必要なんだと、どやしつけられても仕方がありません。(六田知弘) -
- 2024.01.19 デジャヴ
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奈良博所蔵品の写真集の撮影もいよいよ大詰め。来年の開館130年記念に合わせて全部で130点を掲載する予定ですが、残すところあと6点です。
今回は国宝の「薬師如来坐像」から始まり、重文の「春日龍珠箱」、「両界曼荼羅、倶利伽羅龍剣ニ童子像」などが続き、最後はこれまた国宝の絵画「十一面観音像」でした。
いやあ、今年最初の本格的な文化財の撮影であったせいか、かなり入り込んで撮っていたようで、龍の絵を撮っている時にはその絵にシンクロするかのように自分の内側に潜んでいた龍が目覚めて、珠を手に、ゆっくりとうねりながら動き出したような感覚を覚えました。
そして最後の「十一面観音像」を撮っているときなどは、激しいデジャヴ(既視感)で、それが撮影を終えた後も半日ほども続いていました。デジャヴは昔から時々あったのですが、ほとんどが5分くらいでおさまるのですが、今回はあまりにも強烈で、長かった。
なんで今、こうなったのか分からないのですが、龍や十一面観音に刺激されてか、私の中にあって長い間潜んでいた何かが目覚めて、グリっ、グリっと回転し始めたような気がします。
さてこれからどう変化していくのか。
あがらう事なく、すべてを天に委ねようと思います。(六田知弘) -
- 2024.01.12 恐竜の卵
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台湾の地方都市の雑貨店の隅っこで見つけた恐竜の卵の化石です。
なんでこんなものがここにあるのか分からなかったのですが、安価だったので即購入。別の露天で買った25センチもあるブラジル産の水晶と二つ、思わぬところで思わぬものをゲットしてルンルン気分で台北に戻った事を覚えています。
手にその卵を握っていると、1億年も前に地球上を跋扈して、惑星の衝突の影響で絶滅してしまったという動物の、温もりのようなものを感じてしまうのはなぜなのでしょう。遥かな時間を超えて、どこか私にもこの卵と繋がっているものがあるように思えてなりません。(六田知弘) -
- 2024.01.05 蝶の群れ
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大晦日から年明けにかけての4日間はパソコンの前に座って10以上の外付けハードディスクになんやかやと溜まりに溜まった写真画像の整理をしていました。
ある仏像の画像を検索していた時に、ずらっと並んだ同じ番号の画像の中に一瞬目に留まったものがあり、それを開いてみてハッとしました。
奄美大島の海岸沿いの林の中で越冬するリュウキュウアサギマダラの群れです。
この写真を6〜7年ぶりに見てインパクトを受けたのは能登の大地震やそれに続く羽田空港での事故などがあって神経が少しばかり過敏になっていたせいかもわかりません。
我々をつつむ大いなる自然が放つ波動におののき、そして癒された年明けです。
皆さんにとって良い年でありますように。(六田知弘)