六田知弘

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写真家・六田知弘の近況 2018

展覧会や出版物、イベントの告知や六田知弘の近況報告を随時掲載していきます(毎週金曜日更新)。

過去のアーカイブ

2018.01.19 「意味ある偶然」
「意味ある偶然」

福島に住む作家の玄侑宗久さんの最新長編作『竹林精舎』が先日出版されました。原発事故による放射能の影響も懸念される福島県の寺に住職として赴任した青年僧の恋と苦悩の物語です。
じつは私は玄侑さんの依頼でその本のカバーの写真を撮りました。去年の初秋の頃だったと思いますが、福島や静岡、京都、奈良、そして埼玉の竹林や竹薮に踏み入って、ヤブ蚊の襲撃に必死に耐えながら撮ったのが昨日のように思い出されます。
最終的にカバーとして選ばれたのは、私の故郷の奈良県御所市の「本間の丘」というところで撮った写真です。その本間の丘は古事記のなかで、神武天皇が大和に入ってはじめて国見をしたという「ほほまの丘」であると言い伝えられているところです。薄暗い竹林のなかから上を見上げてぽっかりあいた竹の隙間から太陽光がレンズに向かってまぶしく降り注いでいます。小説では、(ここでは詳しくは書けませんが)竹林のなかで見つけた大きな花崗岩にのぼって、その上の竹の隙間からの漏れ来る光をうけながら、青年僧はプロポーズするのです。
「意味ある偶然」。その言葉がこの小説のなかでキーワードとして使われています。深層心理学者のユングが作った言葉ですが、私もこの数年その「意味ある偶然(の一致)」ということを益々強く意識するようになりました。論理的な根拠などまったくないのですが、私にとって写真を撮るという行為は、まさにその「意味ある偶然」の重なりの上に成り立っている、そのように思えてならないのです。そう考えると、私が写真を撮っているのはまぎれもない事実なのですが、じつは、私が撮っているのではなく、何か見えざる手によって撮らされている。そんなふうにも思えてきます。
コガネムシが窓ガラスをコツコツとたたく音がこの頃本当に良く聞こえてくるのです。

昨日、二上山の麓の石光寺で寒牡丹(撮影の後に偶然出会った、もしかしたら私の親戚になる可能性もあったという地元の造園業の方によると、石光寺のものは本当の寒牡丹で、他の寺のものは温度調節で咲かせた普通の牡丹の鉢植えのものを外に出したもので寒牡丹とはいえないとのことでした。)の花を撮りました。普通の牡丹よりもずっと小振りでしたが、冬の柔らかい光のなかで、花びらが重なり合って絹織物のような魅惑的な光沢を放っていました。(六田知弘)

 

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2018.01.12 高幡山の白椿と香炉の煙
高幡山の白椿と香炉の煙

駅まで行くときににいつも通る高幡不動の裏山の道端に白椿の小さな花がポツポツと落ちていました。冬場ここを通るとき、毎年のようにここの椿の花の写真を撮っています。何故だか分かりませんがこの落ちた花に心惹かれます。半分萎れて、花弁の周りも茶色くなりかかってはいますが、その薄紅かかった白玉のような質感の花びらを見ているとなんとも言えぬ癒しのようなものを感じます。この美しさはなんでしょう。
山を下りて高幡不動の本堂前に出ると、正月も10日が過ぎたのにまだまだ人出があります。中央の大きな香炉に午前の陽射しがあたり、白い煙とオレンジ色の焔がゆらめいています。煙を手ですくって身体になすり付け、健康であるよう願う。
いつもの事ですが安らぎを感じる駅までの有難い道行です。(六田知弘)

 

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2018.01.05 インドで迎えた新年
インドで迎えた新年

明けましておめでとうございます。
今年は、インドのサンチーで新年を迎えました。
サンチーには紀元前2世紀にアショカ王によって造営されたという仏塔があって、その撮影に息子と二人で訪れたのです。
10年前に訪れた時にも感じたことですが、サンチーはとっても清々しい空気が流れているところです。もっとも最近インドで問題になっているスモッグのようなものが、毎日たち込めてはいましたが、それでもサンチーの丘の上の仏塔あたりには、訪れる者を浄化するなにか特別な雰囲気に満ちていました。そんなところで、新年を迎えられたことは私にとってはうれしいかぎりでした。
3基ある仏塔のうち、もっとも大きい第1塔にはブッダ(釈迦牟尼世尊)の本当の遺骨(仏舎利)が納められているとも言われています。なぜならその隣にあるより小さい第3塔からは釈尊の弟子の舎利弗と目健連の遺骨が発見されているのですから。
第1塔の周りには東西南北にトーラナと呼ばれる鳥居のような形の赤色砂岩の塔門が立っていてそこにはびっしりと仏伝やジャータカ(釈尊の前世の物語)などが二千年も前のものとは信じられないくらいの素晴らしい造形力で浮き彫りされています。
その中でも私がもっとも印象深かったものというと、飛びながら華鬘(花輪)を枝にかけるキンナラ(有翼の人物)や有翼の獅子に乗った人、その下に聖樹に手を合わせる人々えがかれたものです。それが西日を浴びて浮き立ってみえたとき、ああ、またこの地を訪れることができたのだとちょっと泪がでてきました。十年前にこの浮き彫りをこれと同じ光のもとで撮ったことを思い出したからです。私も思わず手を合わせていました。
この時代は、まだ仏陀の姿は彫刻やレリーフなどには表されておらず、菩提樹や法輪、仏塔、仏足跡などで釈尊の姿を象徴的に示されているといわれています。ですので、このレリーフにある聖樹は菩提樹で仏陀の象徴ということでしょう。でも写真を撮っていると私には、この樹は、実在し、肉体を持った仏陀というより、その教え、いいかえれば宇宙の中心の根源的な真理のようなものの象徴であるというように思えてきました。それに対してこのレリーフの中の人たちは手を合わせ、華鬘を捧げているのだと。
サンチーからの帰り、近くのボパールからデリーに向うプロペラ機の窓からスーパームーンが見えました。飛び立って間もない頃は真っ赤な巨大な月は、美しいというよりちょっと不気味に感じましたが、高度が上がってからは黄金色に輝く円盤のように神々しい光で私たちを照らし続けていてくれました。
今年は、皆さんにとって良い年になりますように。(六田知弘)

 

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