六田知弘

MUDA TOMOHIRO >> Topics 2018

トピックス

写真家・六田知弘の近況 2018

展覧会や出版物、イベントの告知や六田知弘の近況報告を随時掲載していきます(毎週金曜日更新)。

過去のアーカイブ

2018.09.21 雲の海
雲の海

義母の葬儀に参列するために台湾から一時帰国しています。昨日午前2時台北発の飛行機で帰国して、今日午後7時30分成田発の便で戻るというちょっときついスケジュールですが仕方ありません。
帰国の飛行機はわずか3時間半の飛行時間でした。乗ってちょっとウトウトとしてから窓の外を眺めたら、満天の星空の向こうにほのかに赤みが差してきているのが見えました。それから再び眠りに落ちて目を覚ましたら、外はだいぶ明るくなっていてもう星は特に明るい一つだけ(金星?)を残してどこかに消え去っていました。
そして下方を見ると一面の雲海。一般には山の上から見下ろす雲の広がりを雲海と言うのでしょうが、飛行機の窓から見下ろす雲の絨毯も同じく雲海と言っていいのかどうかわかりませんが。いずれにしても球形の地球を覆う薄い膜のようにも見える雲の広がりは見事でした。
雲を見続けているとある不可思議な思いに囚われてしまいました。
本当にこの雲の下には連続する時間の中で営なみつづけられている「現実世界」があるのだろうか?と。もしかすると地上に降りたら全く別の時間に支配された別の世界が展開している。それなのに自分自身がそれを気づかないまま、それを(唯一の)現実世界と思い込んでそのまま生活を送っている。そういうこともあるうるのでは?と、中学生の頃、学校から帰る途中の橋の上から川の水の流れを見ながら考えたのと同じ事を、半世紀ののち、雲の海を見ながらボンヤリとした頭で考えてしまいました。(六田知弘)

 

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2018.09.14 台北より
台北より

4月につづいて、今年二度目の故宮博物院の撮影の為に台北に来ています。
いつものように、朝着いたら、まず故宮の横の道教の廟に参って撮影の無事をお願いします。三日目の今日は、祭壇前の供物台の上に白い玉蘭が置かれ、甘い香りを漂わせていました。
火をつけた長い線香三本を手に持って、先ず祭壇を背にして外に向かって三礼して香炉に一本立てたあと、祭壇に向いて三礼し、神像の前の香炉に二本目を立て、そして屈んで神像の下にある香炉に三本目の線香をたててお祈りします。別に私は道教の信者でもないのですが、故宮での撮影の時は、お参りしないと落ち着かない気がするのです。
今回は、それに加えて、じつは悲しいことが重なって神様にお参りしたい気持ちがより強くなっているのです。
というのは、台湾に来て二日目の朝、義理の母が亡くなったという知らせを受け、それから間もなしに親しい友人の息子が亡くなったという知らせが届いたのです。
お世話になった義母は96歳で穏やかに天寿を全うしたので、寂しいことであるけれど、ある意味よかったと言ってよいように思います。一方、友人の息子は若干20歳の若者で、大学のサークル活動で自転車に乗っていて後ろから来た車にはねられて亡くなったというのです。その知らせを受けて、私は頭が混乱してしまいました。小さい頃は家に何度か遊びにきたし、私の息子と一緒に鉄道写真を撮りに行ったりした、利発でさわやかなあの子が交通事故で死んだなんて。そして一人息子を突然亡くした友人夫婦のことを考えるとズドンと心に重しが乗っかかってしまったようでどうにもなりません。故宮の文物の撮影は、集中して何事もなくこなすことができていますが、休憩時間中や夜ベッドに入ってからは、そのどうしようもない、やりきれなさが押し寄せてきてしまいます。もちろん友人夫婦のつらさはその何十倍も何百倍もあるはずです、けれど・・・。
とにかく今は、彼の冥福を祈るとともに、友人夫婦がこの人生最大級の試練をなんとか乗り越えてくれることを願うことしか私には出来ません。 (六田知弘)

 

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2018.09.07 『春と修羅』
『春と修羅』

今週は日本列島は台風と地震で大変な事になりました。
私は、大阪東洋陶磁美術館での撮影のために関西にいたのですが、火曜日は台風直撃で昼から電車が全て止まるというので、その日1日は仕事はとりやめとなりました。

まだ風雨の激しくない午前中に奈良の実家の近所の古書店で一冊百円の文庫本を買ってきて、雨戸を閉めきって久々に宮沢賢治詩集を読みました。高校時代から、私は宮沢賢治の作品から計り知れない影響を受けてきたとおもいます。ヒマラヤの村に住んでいた時に日本から持っていった2冊の文庫本のうちの一冊が宮沢賢治詩集でした。
風が雨戸を激しく揺さぶる中で一人「春と修羅」などを読んでいると、胸がギュッと絞られて、それから透明な天空を歯軋りしながら駆け巡り、そして宇宙の渦に引き込まれていくような、なんと表現したらよいのかわからぬ激しい感覚に捕らえられてしまいます。
「ああ、かがやきの四月の底を はぎしり燃えてゆききする おれはひとりの修羅なのだ。」
なんとなくですが、世のなかのコンステレーションが変わってきているように感じられるこのごろです。(六田知弘)

 

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2018.08.31 「高麗青磁ーヒスイのきらめき」展
「高麗青磁ーヒスイのきらめき」展

大阪市立東洋陶磁美術館で9月1日から特別展「高麗青磁ーヒスイのきらめき」が開催されます。
東洋陶磁美術館所蔵のものに国内にある名品をあわせて合計250点ほど展示されます。私は東洋陶磁美術館のもの全てとポスターに使われた高麗青磁の中でも世界最高の名品とされる大和文華館所蔵「九龍浄瓶」などの撮影に携わらせていただきました。
いやー、何という幸せ。中国の青磁とは一味違った高麗青磁独特の深く澄明な青緑の釉調を見ていると、本当にこの世と違う世界に連れていかれるような、怖いような吸引力を感じます。そういう意味では、高麗青磁は、南宋官窯よりも中国北宋の汝窯青磁が持つ特徴を色濃く引き継いでいると思います。
宇宙というか神というか、そういうこの現実世界を超えた次元と人間との根源的なつながりを、高麗青磁の名品といわれるものを撮りながら私は感じていたように思います。
こんな凄い高麗青磁が一堂に会する事はもうこれから50年はないでしょう。みなさん、ご来場を強くオススメします。(六田知弘)

 

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2018.08.24 植物の揺らぎ、宇宙のゆらぎ
植物の揺らぎ、宇宙のゆらぎ

駅に行く途中、高幡不動の裏山の一番高いところにある椿の木。その影が池のように地面に広がり、風に揺らいでいました。スマホで3カット、そして一眼レフでも5回ほどシャッターをきりました。
今年の秋は今まで撮ってきた植物の写真を集めて写真展をしようと思っています。蓮に限らず植物には宇宙のゆらぎを強く感じます。そのゆらぎに私も知らぬ間にシンクロしてしまうのです。
ところで、今月28日から9月30日まで東京の東中野にある東京黎明アートルームというところで私の雲岡石窟の写真が展示されます。大判サイズのものが全部で6点です。常設展示されているガンダーラやクメールの仏教彫刻とともに仏の宇宙を感じていただければ嬉しいです。東京黎明アートルームは考え抜かれた展示がされた、素晴らしい美の空間です。是非訪れていただきたいところです。(六田知弘)

 

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2018.08.17 母の手
母の手

お盆が過ぎたら急に光に琥珀色が混ざってきて空も高くなったように感じられます。もちろんこれからもまだまだ残暑の日々があるでしょうが、辛かった暑さの山は越えたのでしょう。
先日お盆休みの息子と二人でお墓参りと施設にいる母に会ってきました。
以前にも書きましたが、もう自分の名前と息子である私と弟の名前ぐらいしかわからなくなってしまっていますが、今も般若心経だけは立て板に水で唱える事ができます。ギャーテーギャーテーハーラーギャーテーハラソーギャーテーボージーソワカという最後の呪文だけしか覚えられない私にすると本当に不思議でなりません。母にとって般若心経とはどういうものなのでしょうか?脳のどの部分にそれが存在しているのでしょうか?
薄く薄く透き通ってしまった母の手の皮膚を撮りながら母が唱える般若心経を聞く事が私の月に一度の楽しみになってきたようです。(六田知弘)

 

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2018.08.10 目で触る「壁-ヒミツノアリカ」
目で触る「壁-ヒミツノアリカ」

静岡県の伊豆高原の池田20世紀美術館で開催中の写真展「壁―ヒミツノアリカ」も中盤に入りました。
8月4日のギャラリートークも多くの方にお集まりいただき嬉しい限りです。実は翌5日の午前中と午後にも大勢おいでいただいたので、特別ギャラリートークもさせていただきました。みなさん、ポスターやチラシなどの印刷物で見るのと実際のプリントを見るのとはだいぶ感じが違う事が分かっていただけたようで、そのテクスチャに驚いておられました。これが本当に写真なのか?表面が凸凹ザラザラしているのじゃないかと、思わず触ろうとされる方もいたようです。私の作品の中でも特に壁のシリーズは視覚的な要素よりその触覚的な部分が重要だと思っています。目で触りながらその壁の向こう側に見え隠れする宇宙のヒミツのようなもの。その事をいくらお話ししても、印刷物やパソコンの画面を見ても、実際の作品を見ていただかないと伝わりません。みなさん、是非是非実物を見においでいただきたいです。(展覧会は10月9日までやっています。)
ところで先日、美術館で地元の幼稚園児から中学生まで集まっての写生会がありました。美術館に展示してある作品を子供達がその場で写生したのですが、その作品が美術館の入り口横とカフェテリアにズラッと張り出されてありました。ピカソやマチスやシャガール、ミロ、ダリなどの常設展にある20世紀の巨匠の作品とともに私の壁の作品を写生したものも十数点ありました。いやー、すごいです。上手いというよりもなんというか、グイッと本質的なものをつかみ出してきてくれている作品がいくつもあって、私の作品よりも力があるんじゃないかと思うものもありました。そして20世紀の巨匠達が目指したのは実はこういうものではなかったかと逆に思ってしまった事も確かです。その中でも私のローマの赤い壁の写真を描いたのだろうと思われる中学一年生の作品には本当に驚きました。ギョロッと丸い目を剥いた猫のような生き物がよだれをたらしながら青い頭と尾っぽの魚の骨にほとんど食らいつきそうにしています。頭で考えたのではなく、我々が失いかけているように思われるもっと根源的な、ちょっと恐ろしさを含んだ生のエネルギーを彼の作品から感じられます。自分の作品にこんなエネルギーがあるのだろうか?とある種の嫉妬心のようなものまで抱いてしまいました。

もし彼がローマに行って壁の写真を撮ったとしたらどんなものになるのでしょうか。

8月中で美術館にいる予定にしているのは16日の昼頃から数時間と24日の午後から25日の午後までです。 (9月はまた台湾に行くので美術館にはほとんど行けそうにありません。)
みなさんのご来館をお待ちいたしております。(六田知弘)

 

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2018.08.03 酷暑お見舞い
酷暑お見舞い

8月に入りました。しかしこの暑さは本当に異常ですね。
私なんか外を歩く時は朦朧として息も絶え絶えという感じです。それでも駅に出る時に通る高幡不動の裏山の小径はまだマシで、カメラをリュックからとり出す余裕もあります。ミンミンゼミのつん裂く声の中 、ワンダーランドに入り込んだような木漏れ日の中を写真を撮りながら下るのは心地よいです。
ところで、今度の土曜日8月4日の14時から伊豆高原の池田20世紀美術館で開催中の写真展「壁―ヒミツノアリカ」のギャラリートークがあります。私が作品を見ながらいろいろ話をさせていただきます。皆さんからのご質問もいただきながら会場を巡る1時間です。暑いですが、伊豆高原は高原というだけあって涼しい風が通って過ごしやすいですので是非皆さんお越しください。
因みに私は4日は現地に入り、5日昼過ぎまでいる予定です。8月中はその他にも何度か美術館にいくと思いますが、今のところは未定です。
9月は関西と、また台湾故宮での撮影が入っていて、ほとんど会場には行けない状態です。
酷暑が続きます。皆さんどうぞご自愛くださいますように。(六田知弘)

 

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2018.07.27 長い坂道の上の星
長い坂道の上の星

酷暑の日々が続いています。
私の家は高幡不動の裏山の上にあるので駅に行くときは裏山の木々に囲まれた小径をゆっくりと下るのですが、家に帰る時は高幡不動尊の脇の長い(400m位?)アスファルトの坂道をほとんど直登状態で登っていかなければなりません。これはなかなかの運動量で、ある意味トレーニングのつもりで結構早足で上って行きます。今頃の季節は汗が吹き出て来る時もしばしば。それでも夜風を受けると心地よい。
先日、そんな坂道を登りきったところでふと空を見上げると南の方角にえらく明るく光り輝く星を見つけました。あまりに明るく見えたので飛行機の灯りかと思ったのですが、しばらく見ていても動かない。赤みを帯びて見えたので地球に大接近しつつある火星かもしれないとも思ったけれど確証もないままスマホを出してとりあえず数枚撮りました。
それにしてもスマホのカメラはよく写るものですね。何も特別な操作をしなくても肉眼で見たように写ってくる。暗く見えるものは暗く、明るくみえるものは明るく写る。普段一眼レフカメラを使っている私にはとっても不思議です。
ところでこの写真のどこにその星があるかわかりますか?(六田知弘)

 

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2018.07.20 猛暑のなか
猛暑のなか

とにかく暑いですね。私なんか外では息をするのもしんどく、7月ですでに夏バテ気味。情けない。
そんななか、高幡不動の蓮は今、花ざかり。小さな池に十数個の花や蕾が、風を受けて、まるであの世とこの世の境界線上を往き来するかのように、ふわふわと揺らいでいました。ついこの前に向こう側へ行ったまま帰ってこなくなった編集者の小森佳代子さんや西日本を襲った豪雨によって亡くなった多くの人たち。ああ、やはり、蓮は仏の花だと思いました。
ところで先週のトピックスにも書きましたが、今、東京国立博物館の所蔵品の撮影をしていますが、今回撮った日本絵画中で、特に印象深かったのは酒井抱一の「夏秋草図屏風」です。ライトを当てた瞬間、ニビっと底光りする銀地のなかに浮かび上がる夏や秋の野の草花。まるで屏風の向こう側にある秘密の世界を写し取ってこちら側に持って来たような、怪しく神がかった、そしておそろしく美しい世界。その印象が抱一の他の作品とはあまりにも違うので、これが本当に抱一筆なのか疑ってしまったほどです。そんな写真を皆さんに早く見ていただきたい。
暑さにあえぎながらも、楽しい仕事をやっています。(六田知弘)

 

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2018.07.13 東博での撮影
東博での撮影

 今週は東京国立博物館の所蔵品の撮影をしました。撮影したのは3日で29点。
 法隆寺館にある技楽面の治道、迦楼羅、力士、四十八体仏のうちの童形の2体と菩薩半跏像、押出仏の阿弥陀三尊及び僧形像、そして絵画では、扇面法華経、観楓図屏風、松林図屏風、花下遊楽図屏風、関屋図屏風(伝宗達)、納涼図屏風、夏秋草図屏風(抱一)、楼閣図屏風(大雅)、そして普賢菩薩像、千手観音像、はたまた平治物語絵巻、餓鬼草子、地獄草子、浮世絵では三世大谷鬼次の奴江戸兵衞(写楽)、雨夜の宮詣(春信)、婦人相学十体 浮気の相(歌麿)、月に雁(広重)、東海道五十三次 庄野(広重)、富嶽三十六景 神奈川沖波裏(北斎)、讃岐院眷属をして為朝をすくふ図(国芳)、そして麗子像(岸田劉生)、舞子(速水御舟)。
 すごいものばかり。そして私の大好きなものばかり。いやあ、こんなものを好きなアングルと好きなライティングで、撮影の間だけはほとんど独り占め状態で、撮れるなんて私はなんと幸せ者でしょう。
 こういう機会をつくってくださったたくさんの方々のお力の積み重なりに、ただただ感謝です。
 まだまだ東博での撮影が続きます。皆さんにその写真をご覧いただくのもそう遠い未来ではないと思います。乞うご期待を。(六田知弘)

 

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2018.07.06 花が一輪落ちました。

池田20世紀美術館での写真展「壁―ヒミツノアリカ」が始まって一週間が経ちました。その間に梅雨が明けて、大きな赤い花が一輪、ぽとりと枝から落ちました。小森佳代子さん(享年49歳)。
小森さんは私の仕事のもっともこころ強い理解者のひとりでした。
彼女は美術系の出版社「生活の友社」の編集部長で、昨年出版した写真集『ロマネスク 光と闇に潜むもの』をつくってもらったり、月刊誌『美術の窓』の私の連載「美の棲むところ」を企画、担当してもらったり、私の諸々の仕事をことあるごとに誌面で紹介してもらったり・・・・。
そしてなにより、池田20世紀美術館での展覧会の実現のために強力な後押しをしてくれました。「展覧会がはじまるまでは死なないですから・・・」と私に笑いながら言った翌々日に癌の脳への転移が見つかり緊急入院、そのまま帰らぬ人になってしまいました。
小森さんは私のような軟弱な人間からみると、まさに超人ともいえる精神の持ち主でした。過去のことや自分の病気についての不安などはいっさい口にせず、「今を生きる」ことにすべてをかけていた人でした。その姿を見て、逆にいつも小森さんから励まされ、力づけられてきました。
今はただ、「本当にありがとうございました。」ということしか私にはできません。

開催中の「壁-ヒミツノアリカ」の会場である池田20世紀美術館に私がいる事が確定しているのは、今のところ、7月7、8日と15、16日と21、22日、8月は4、5日です。9月はまた台湾での撮影のため、ほとんど行けないと思います。お知らせまで。(六田知弘)

 

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2018.06.29 写真展「壁―ヒミツノアリカ」オープン
写真展「壁―ヒミツノアリカ」展示風景

伊豆高原にある池田20世紀美術館での企画展 六田知弘写真展「壁―ヒミツノアリカ」が始まりました。
先日、会場に行って、作品の飾り付けをしたのですが、なかなかうまい具合に展示ができたと思います。写真の構成はいつものように大阪のデザイナーの上田英司さんにお願いしたのですが、今や全国の博物館、美術館から引っ張りだこというだけあってさすがです。
今回の展示は、この二十数年の間に世界各地で撮った壁画と壁そのものの写真を合わせて構成したもので、全て大判以上、最大150x225センチの大きなプリントにしてみました。
展示が終わった会場を一人見て回ったときあらためて思ったのですが、私にとっては写した対象が壁画であろうと、単なる壁であろうとほとんど違わないという事です。壁の中に堆積した時間とその向こうに見え隠れする宇宙の揺らめきのようなもの。それに惹かれて壁を20年以上撮り続けてきたように思うのです。
小さな印刷物やコンピュータの画面では決して分からない、壁のテクスチャとその奥に隠されたヒミツのカケラを見つけに是非おいでいただきたく思います。
会期中の7月7日(土)と8月4日 (土)にギャラリートークを行います。両日ともに14時~15時の開催ですのでお時間になりましたら美術館企画展示室内にお越しくださいませ。お待ちしております。(六田知弘)

 

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2018.06.22 夜のくちなしと秋草の壺
夜のくちなしと秋草の壺

東京国立博物館での撮影を終えて、家に戻って玄関のところまできたらなんとも言えぬ甘い香りが漂ってきました。鉢植のくちなしです。宵闇の中、門灯の弱い光を受けて白い花が三輪、微風を受けて揺れていました。その日東博で撮った朝鮮時代の青花草花文壺(秋草の壺)とそのまま重なりました。
いよいよ来週の木曜日から伊豆高原にある池田20世紀美術館で六田知弘写真展「壁ーヒミツノアリカ 」が始まります。少し遠いと思われる方が多いと思いますが、一碧湖やサボテン公園、大室山などが近くにあってとても爽やかな空気のところです。夏の3ヶ月開催ですので是非お立ち寄りください(六田知弘)

 

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2018.06.15 カタツムリ
カタツムリ

大阪の東洋陶磁美術館での撮影が予定より一日早く終わったので、今朝は奈良の実家でゆっくりしています。
梅雨らしく、しとしとと小雨が降っていますが、傘無しでもなんという事もないようなので、久しぶりに庭に出てみました。松の葉の間には丸い水玉がついていて白い空を映し、地面の苔やシダや石などは濡れて光っていかにも潤っているという感じです。
草の隙間にカタツムリを見つけました。うっすらと透けた殻もからだも濡れて艶やかに光っています。殻の先端が紅色ですこし艶めかしい。カタツムリにとっては今が一番うれしい季節なのでしょう。
人体の6割以上が水だと言いますが、カタツムリは8割以上が水なのかもしれません。
こうして同じ雨に濡れていると、人もカタツムリもこの地球という水の惑星の住人で、そう大した違いもないようにも思えてきます。(六田知弘)

 

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2018.06.08 コナラの若木
コナラの若木

入梅直前の遅い朝、自宅の玄関先でストレッチをして空を仰いだ時、晴れ渡った空からの眩しい光を浴びて若葉を輝かせている一本のコナラの木が目に入りました。光を透過した新緑が余りにも鮮やかだったので、スマホで仰ぎ見てパチリ。よく見ると大きな葉の間からピンクがかった銀色の産毛をまとった幼芽もそこここで出てきています。この幼芽なんかはその日のうちにもみるみる開いて立派な若葉となるのでしょう。
実はこのコナラの木は、私の息子が幼稚園に行くか行かないかの頃に、彼が近所で拾ってきて土に埋めたドングリから芽が出て大きくなったもの。新芽が土の上に出ているのを見つけてみんなで喜んでいた時のことをおぼろげながら覚えています。
考えて見るとあれからもう二十数年たっているということですね。その間に特に何も世話をしたわけでもないのに、枯れずに育ってきてくれた事に、感謝です。(六田知弘)

 

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2018.06.01 眠れぬ時に
眠れぬ時に

6月になりました。昨日、池田20世紀美術館で今月28日からはじまる写真展「壁ーヒミツノアリカ 」に出品するの大型プリントを額屋さんに渡しました。これで、ひと息。いつものことですが、大きなプリントをするのは疲れます。事前に小さなテストプリントをして納得したものをただ大きなプリンターで拡大して出力するだけなのですが、プリントしている時のテンションが違います。幅が2メートル近くもある巨大なプリンターからゆっくり送り出されてくるのを見ていると、自分で撮った写真が何か別物になってこの世に出現してくるような感じがして、緊張します。おかげで、ここのところ眠りが浅く、夜中に目が覚めて、そのまま眠ることができず困っています。そんなとき、私はいつも灯りをつけて枕元に何冊もあるパウル・クレーの画集の一冊を開いて、あてずっぽうに開いたページにある絵をただぼーっとながめています。一時間ほどそうしていると、高まった交感神経も徐々に抑えられてくるようで、再び眠りにつくことができるのです。

今回の展覧会のタイトルは「壁ーヒミツノアリカ」ですが、クレーほど「秘密のありか」を知っているひとを、他に知らない。ああ、羨ましい限りです。

壁に染み込んだ人々の記憶のかさなり。
その向こう側にほのかに見え隠れする宇宙のゆらめき。
隠された秘密のありかをさがしてカメラ片手に境界線上を浮遊する。

ここで、ちょっと皆さんにお願いがあります。と言いますのは、本日写真展「壁 ヒミツノアリカ」のポスターが手元に届きました。少し多めにあるのですが、そのポスターを皆さんのお近くで人目につくところに貼っていただくことはできませんでしょうか。もし、お願いできるようでしたら、お送りさせていただきますのでご連絡いただけると幸いです。よろしくお願いいたします。(六田知弘)

 

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2018.05.25 両尖水入り水晶
両尖水入り水晶

この前の日曜日、高幡不動のござれ市で両端が尖った水晶を見つけました。両尖水晶あるいは両剣水晶と言うのだそうですが、石を集めるのが趣味だった私の子どもの頃は、こういうものは図鑑にも載っていなかったし、博物館でも見る事はなかったのですが、この頃は、中国の四川省あたりで採れたものが、パワーストーンの流行とともに日本にも入って来ているようです。
手にとって日にかざして見ると、水晶の内部にいろんな他の鉱物が入っていて、不思議な景色をみせてくれます。昔はこういうのを草入水晶とか言っていて、私も2~3個持っていました。今回見つけたものは内部に他の鉱物とともに水が入っているいわゆる水入り水晶でもあります。水晶の中にわずかな空洞があり、その中に水が入っているのです。石英が結晶化して水晶を形作る過程で水が閉じ込められたものなので、その水は何万年、何十万年いや、何億年も前の水なのかもしれません。なぜ水が入っているのがわかるかというと、空洞の中に小さなまん丸の気泡が入っていて、光を透過させながら水晶を動かすと、その気泡が右へ左へと移動するのでわかります。
手頃な値段だったので買って家に持って帰ってからも、蛍光灯の光を透かしてルーペで気泡の動きを追っていると、子供の頃に鉱物や化石やや昆虫や植物の標本を手にとって時間を忘れて眺めたり、色鉛筆でスケッチしたりしていた事を思い出しました。こういう時はどんな言葉も出番はありません。ただただ無心に眺めて、無心に写していました。「無心に写す」。考えてみれば、今もカメラでいろんなものを写しています。なかなか「無心」にはなれないのですが、森羅万象を無心に写す事が出来たとき、秘密のカケラを携えて、被写体の方から写ってきてくれる。その事がこの頃やっとわかりかけて来たような気がしています。

ところで、6月28日から3ヶ月あまり、伊豆高原にある池田20世紀美術館で私の写真展「壁ーヒミツノアリカ」を開催します。壁と壁画を撮った写真作品51点で構成します。詳しくは、このウェブサイトの publicity をご覧ください。さて、展示作品の中で、どれだけ「無心」で撮ったと言えるものがあるのか、会場で私自身もあらためてチェックしてみようと思っています。無心で撮ったものが多いほど、みなさんにより面白く感じてもらえるはずでしょうから。(六田知弘)

 

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2018.05.18 新緑の高幡山
新緑の高幡山

台湾から戻ってきた日は風邪を引くのではないかと思うほど寒かったですが、その翌日は清々しい五月晴れ。駅まで通う高幡不動の裏山も新緑のトンネルのようになっていて、台湾とは植生も湿気もずいぶん違うので、ここ日本に帰ってきた事をあらためて実感しながら緑の間を歩きました。この空気を胸いっぱいに吸うと台湾もいいけど、日本もいいものだと素直に思います。
帰国してからすぐに依頼された撮影をしたり、原稿を書いたり、6月末から伊豆の伊東の池田20世紀美術館で開催する写真展の出展作品を選んだり、奈良の老人施設に母に会いに行ったり、バタバタとやっておりますが、なんだか台湾に行く前より体調もよく、少し若返った感じです。このままの季節がしばらく続いたらいいのですが、梅雨や真夏はすぐそこに控えています。来週あたりから高幡不動の裏山もそろそろ紫陽花の季節が咲き始める事でしょう。
台湾にいた一ヶ月の間もその後の一週間足らずの間でも、季節も、人も、全てのものが否応なく移り、変化していくことをひしひしと感じるこの頃です。(六田知弘)

 

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2018.05.11 忘憂森林
忘憂森林

今回 台湾滞在の最後の週末に台中の知人夫婦に「忘憂森林」というなんとも気をそそられる名前のところに連れて行ってもらいました。
台中市内から高速道路と一般道とクネクネの山道を走ること約2時間半。乗っているだけでもちょっとくたびれかけたころに濃いキリが辺りに立ち込めてきて、これから雨になるのではと心配しかけたところで車を下りて、登山口にある茶屋の四駆に乗り換えて、40度ほどもあるのかと思われる急勾配の坂道を登りきったところから歩いてほんの5分ほど。霧の中に浮かび上がってきた何百本もあろうかと思われる立ち枯れた林が目の前に忽然と現れました。
絵に描いたような風景でかえって私は身構えてしまいました。それに木の下には週末なので多くのハイキング客がいて、みんなカメラを持ってベストショットを狙っています。
私はしばらくカメラを持ったまま、ファインダーを覗くこともなく、ただ浮遊するように辺りをふわふわと歩くしかありませんでした。そんな中で、スマホで最初に撮ったのがこの写真です。スマホでもなんでも一枚撮り始めると止まらないのが私の習性。カメラのバッテリーがなくなるまでその日は撮り続けました。さて、どんな写真が撮れているか楽しみです。
それにしても故宮の人達もそうですが、ここに連れて行ってくれたWoodyさんとJoeさんご夫婦も、台湾の人達はなんでこんなに親切なのでしょう。その親切さで、私のつまらぬ憂いもいつしか忘れてしまって、故宮での残る撮影にも専念する事ができました。
本当にみなさんに感謝、感謝です。
おかげでここで新たな窓が開いたようで、これからしばらく台湾通いになるような気がしています。(六田知弘)

 

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2018.05.02 睡蓮
睡蓮

台北故宮での撮影ですが、今、ちょうど汝窯と南宋官窯の撮影が全て終わったところです。明日から明や清朝の官窯の撮影に移ります。なんとか体調も壊す事なく持ってくれています。
ところで今まで撮影していた汝窯や南宋官窯の中に蓮花の洗(皿)や碗がいくつかあるのですが、この場合の蓮花というのは、蓮ではなく、睡蓮ではないかと故宮の近くにある廟の前に咲く赤や黄色の睡蓮を見てそう思いました。あの花びらの形もそうですが、それより玉の様な失透性のモチっとした質感などはまさしくそうです。
日本もそうですが、台湾(中国)でも蓮と睡蓮の区別はあまりされてないのでしょう。
それにしても、故宮の人たちの親切で友好的な協力には本当に頭が下がります。私の撮影のために、スタジオを空けてくれ、非常に有能なスタッフカメラマン王さんと林さんの二人(ご夫婦で林さんのお腹には赤ちゃんがいます)をはじめ、常時5人、6人の人たちが私に付きっ切りで撮影を助けてくださっています。
感謝、感謝です。(六田知弘)

 

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2018.04.27 玉蘭と汝窯
玉蘭と汝窯

台北の故宮での撮影も第3週目が終わろうとしています。
いつものように撮影の前に故宮の脇にある廟におまいりしたら、祭壇の前に白い見慣れぬ花がプラスティックの容器にいっぱい入れられて供えられてありました。近づくとちょっと強過ぎるほどの甘い香りがします。あとから故宮の人に聞くと、それは玉蘭の花なのだそうです。
玉の蘭、確かによく見ると、少し黄色味を帯びた白玉のように、失透性のある柔らかな質感を持っていて、いかにも台湾的な(中国的な?)雰囲気を醸し出しているように思います。
撮影の方もゆっくりではありますが順調に進み、昨日は一日かかってあの有名な汝窯の蓮花式温碗を撮りました。実は、私はその温碗はこれまでにも何度か展示場で見ているのですが、もひとつその色と質感が好きになれず、あれだったら、それを写したとされる高麗青磁の蓮花式の碗の方が好みでした。ところが、今回それを撮影台に載せてライトを碗の真上から当てた瞬間、全く違うものに見えました。まるで、碗の中に発光体が入っていて、その光が上に向かって放射されると同時に器の壁面を透過して柔らかく内側から光り輝いているように見えたのです。ファインダー越しに蓮弁のエッジや外側の蓮弁と蓮弁の間の谷の部分などを見ると、どう見ても透けているようにしか見えない。これはやきものではなく、玉で作られているのではないか。そう錯覚してしまうほどの神秘的な輝きを放っていました。これこそまさに神品です。他にも汝窯のやきもので洗(皿)などをいくつも撮りましたが、その見込の底面の神池のような輝きになんども私の脳は痺れました。異次元の世界を垣間見た。そういう風に感じることの連続です。
明日はいよいよ汝窯のなかで私が最も好きな楕円形の洗を撮ります。無心で向き合う事ができればきっと今まで気付かなかった何かが写ってきてくれる。そう信じてシャッターを押していこうと思っています。(六田知弘)

 

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2018.04.20 故宮での撮影
故宮での撮影

台北の故宮博物院での撮影も2週目を終えようとしています。今、撮っているのは北宋時代の宮廷用のやきものと考えられている汝窯(じょよう)の青磁17点と南宋時代の官窯(かんよう)青磁24点です。周知のようにこれらのやきものはかつて清朝の宮廷にあったもので、お金には還元できないほどの価値があるものばかり。そしてもちろん質的にも史上最高レベルのものばかりですから撮り甲斐があるものなのですが、そのぶん、撮影にはめちゃめちゃ神経を使います。1日に撮れるのは2~3点。正直、その日の仕事が終わると、もうグッタリで宿についても何にもする気がなくなります。(このトピックスを書くのも辛いです。)
これで予定の日程のほぼ半分。あと2週間、なんとか心身が持つように天に祈る思いです。実は毎朝、(先週のこのトピックスに書いた)故宮に隣接する道教の廟に参って無事を祈願しています。写真はその廟の前にある池に咲いた睡蓮で、なんとも言えない色と質感で私を癒してくれています。)
愚痴ばかり言っているようで申し訳ないのですが、貴重なものだから神経を使うという事もあるのですが、それより次々と撮影台に出されてくる一つ一つの力が強すぎて、その気にあたってしまってこちらが耐え切れなくなりつつあるという事なのかもしれません。(もちろんこうなるのはある程度予測はしていたのですが、、、。)
撮影台には汝窯と南宋官窯とがランダムに運ばれくるのですが、汝窯が出てきた時には、私の身体は、自分でもおかしくなるほど反応してしまいます。なんというか、人の手によって作られたものというより、神の手がそれに加わったまさに神品ともいうべきものが発する鮮明な波動に脳が異常に反応して痺れて泪が滲んで来る事もしばしばです。同じ宮廷用の青磁でもなんで反応が違うのか自分でもよくはわからないのですが、、、。(ただ南宋官窯にも一つそういうものがありました。それは小さな蓮弁の皿(洗)で、出され時に脳が痺れた様になったので、てっきり汝窯だと思っていたのですが、裏の目あとを見て南宋官窯だとわかりましたが)
ここのところ、目を閉じると汝窯や南宋官窯のディテールが鮮やかな色と質感を持って網膜に浮かんできます。
一生のうちで、そうなん度もないであろう対象に今、私は毎日向かい合っています。なにか見えざる手の様なものによって、私に撮るように仕込まれているようにも思えてきます。
それにしても故宮のみなさんはどうしてこれほどまでに私に協力的で親切にしてくださるのでしょう。それに応える為にも今の私のできる限りの力を注ぐつもりです。
明日、明後日は、お休みです。どこにもいかず、宿でボーっとしていようとおもいます。(六田知弘)

 

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2018.04.13 故宮横の廟
故宮横の廟

今、台北故宮での撮影のお昼時間で、故宮の横にある道教の小さな廟でこれを書いています。
前回汝窯の水仙盆の撮影の時にもここに参って、撮影の無事をお願いしました。この廟は、故宮ができるずっと前からここにあったという事で、この土地の守り神なのでしょう。
朝は厚い雲がかかって、小雨混じりの天気だったので気分も沈んでいたのですが、昼食後に外に出てみるとスッカリ晴れ渡り、温かな風がふいて気持ち良いです。
廟の横にある台の棚には、白黒の猫が寝ていました。スマホで一枚写真を撮ると、猫はそれに気づいて立ち上がり、私に尻尾や体を擦り付けてからゆっくりと向こうの方に行ってしまいました。昼寝の邪魔をしてごめんなさい。
線香の香りが漂うここで鳥やヤモリの鳴き声を聞いていると、私の方もちょっと眠くなってきました。
でもあと10分で午後からの撮影が始まります。そろそろ気分を引き締め直して、地下のスタジオに戻るとします。(六田知弘)

 

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2018.04.06 花粉症
花粉症

昨日、伊豆の伊東の伊豆高原にある池田20世紀美術館に行ってきました。今年6月28日から3ヶ月間開催する私の個展「壁-ヒミツノアリカ」の打ち合わせのためです。世界各地で撮った壁画と壁そのものの写真を組み合わせて構成します。考えてみると私はもう20年以上前から壁を撮ってきました。なぜ壁を撮るのか、自分でもよくは分かっていないのですが、なぜだかずっと壁に惹かれてきました。そういえば幼稚園の頃かと思いますが、誰かに叱られて家の蔵に入れられた時にじっと剥がれかけた土壁を見ていた様な記憶が薄っすらとあります。もしかしたらその頃からの遠い記憶が壁の写真を撮る事と繋がっているのかも知れません。よくはわからないのですが、展覧会をする間に自分なりに見えてくるものがある様に思うのですが。
それにしても伊豆高原の花粉には往生しました。目が猛烈に痒く、涙目で、くしゃみも出て、頭がボーッと。
9日から1ヶ月間故宮の撮影で台湾に行きますが、向こうは花粉症はないでしょうね、、、、、。(六田知弘)

 

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2018.03.30 春爛漫
春爛漫

今年はどこも春本番になるのが例年より随分早いようで、先日奈良の実家に行ったときには、近所の堤防の桜もすでに満開でした。そこの桜を見ると、その下で母の写真を撮った日のことが昨日の様に思い出されます。そしてその翌日、母のいる施設に行ったら、たまたまお花見の日で、私も一緒に施設の車に乗せてもらって近くに花見に行きました。桜を見上げて母も久しぶりに微笑んでくれました。
東京に帰っても、いつも通る高幡不動の裏山の山桜もコブシに混じって青空をバックに白っぽい花を高い枝いっぱいに咲かせていました。
仕事場近くの中野通りの桜並木はすでに満開を通り越し、暖かい風に吹かれて激しい桜吹雪。
花びらを頭に被りながら仕事場の建物に着いた時、一階の踊り場に赤い花が銅のポットに活けられているのが目にとまりました。なんという花か知りませんが、甘い香りをほのかに漂わせ、慣れない長文の原稿書きで少し疲れぎみの私の頭を柔らかくほぐしてくれました。
今、春爛漫です。(六田知弘)

 

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2018.03.23 顔のついた首飾り
顔のついた首飾り

晴れ渡って暖かな日曜日、高幡不動の裏山を駅に向かって降りていくと、五重の塔の近くで、サンシュユの木が小さな花をいっぱいつけているのが目に入りました。毎年、梅に続いてこの黄色い花が咲いているのを見ると、また今年も春が巡ってきたことを実感します。もうここに移り住んで来て23年になります。
そのサンシュユの木のすぐ下くらいから、境内は結構な人出でした。露店も多くでていて、その日は月に一度の「ござれ市」の日だとわかりました。私は、10年ほど前までは、ほとんど毎月のようにこの青空市を楽しみにして、出かけていたのですが、最近は、だいぶご無沙汰でしたが、その日は、暖かくて時間もあったので、ちょっと覗いてみる事にしました。
本堂に近い方から順番に見ていったのですが、ほとんど興味を引くものがなく、そろそろ帰ろうかと思いかけたころ、奥の方の隅っこにあった店で、面白いものを見つけました。それは高さ8センチ、幅5センチくらいの白っぽい骨のような素材に目鼻が陰刻されて顔になっています。その周囲になにか動物の毛のようなものが埋め込まれていて、それに丸い円盤状のものと、細長い棒状のものが二つずつついた紐が環状についています。どこか少数民族の首飾りであることはわかりましたが、さてどこのものか特定できず、店のおじさんに聞いたところ、ミャンマーとインドにかけて住むナガという少数民族のものだということでした。
その首飾りについている顔の表情に私は結構惹かれました。どこか血の匂いがするようなのに楽しげで・・・。この表情はどこかで見た事がある。そうです。スペインの北西部ガリシア州にある「聖なる谷」の一番奥に位置するサンタ・クリスティーナ・リバス・デ・シル修道院の教会入口の柱頭彫刻の顔とそっくりです。それに気づいた時、人っ子一人いない、完全に世の中からその存在が忘れられたような谷底の廃墟になった修道院で一人撮影していた時に感じ続けていた不思議な気配を鮮やかに思い出しました。
家に帰ってからもござれ市で見たあの首飾りのことが気になったので、ネットでナガの事を調べてみたました。ナガという少数民族には、つい数十年前まで首狩りの風習があって、顔が描かれた首飾りは、首狩りをした証として男が身につけるものだということ。ナガの人たちにとっては、他部族の人の首を狩ることで一人前の成人と認められ、その証としての顔のある首飾りを身につけることによって、その人に福をもたらすのだと信じられていたとのこと。
首狩りは我々近代人にとっては、野蛮な、忌み嫌うべき風習なのでしょうが、ナガの人たちにとっては、それはごく自然で、ある意味、良きおこないであったはず。 全然違う世界観、宇宙観のなかで生きる人たちが、この世界には、いや我々の周辺にも我々自身の内側にも、まだまだ存在しているのは確かなこと。そういうところを真剣に探るのも、自らの首を確実に締めつつある現代社会に生きる我々にとって、大きな意味があると思うのですが、どうでしょうか?(六田知弘)

 

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2018.03.16 啓蟄のころ
啓蟄のころ

冬眠していた虫たちが地上にでてくるという二十四節気のひとつ「啓蟄」の頃になりました。最近歳のせいか寒いと血行が良くなく、体調が今ひとつの私ですが、やっと暖かくなってホッとしています。(ただ、花粉症の症状がひどくてこれまたこまったことですが。)
先日、雨の夜に帰宅の途中、高幡不動の裏山に沿った舗装された坂道の頂上付近の道のど真ん中に一つの黒い塊があるのに気づきました。しかし、たいして気にもとめず通り過ぎて、50メートルほど行ったところで、もしやと思い振り返って、後戻りをしかけたところ、私の後ろから来た男性が、その塊があったところでしゃがみこみ、むんずとそれを素手で掴み上げているではありませんか。その塊はヒキガエルであることは、遠目でもわかりました。男性は、それを掴んだまま辺りを見回し、ウロウロとしています。このまま全く動かないヒキガエルを道路の上に放置しておくと、まず間違いなく車に轢き潰されると思ったのでしょう。しかし、それをどこへ放てば大丈夫なのか判断がつかないている様子。私は、そこは男性に任せて、再び家に向かいました。
それから2日後の夜、その坂道の頂上にさしかかったとき、前とほとんど同じ場所に一匹のヒキガエルがいました。前のと同一個体なのかどうかはわかりませんが、道路のまんなかで身動き一つしません。これでは車に轢かれるのは必至。今度は私が避難させてやるしかありません。今の季節はヒキガエルは皮膚から人体に有毒な物質を出すことはないとは思いましたが、さすがにあの男性のように素手で掴むことにはためらって、暫く考えた末、花粉除けにつけていたマスクを外して、それをヒキガエルに被せたうえで手で掴み、さてどこに避難させてやったらいいものやら? 周りを見渡してもなかなか適当なところがすぐには見当たらず、一旦道路の脇におろして、スマホで撮った後、なお、辺りをウロウロと探した末に、いつも駅に行く時に通るお不動さんの裏山の山道の脇の茂みに放してやりました。さて、あいつは今、どうしているのやら? 舗装道路のところには出てくるんじゃないよ!(六田知弘)

 

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2018.03.09 台北故宮の汝窯と南宋官窯の撮影
奄美大島のヒカゲヘゴのゼンマイ

奄美大島から帰ってから現実に戻りいろいろなことが一気にきた感じで、少々鬱気味になっていましたが、しんどさの最大の原因のひとつの確定申告も提出し、なんとかちょっと落ち着いたところです。
そんなところに、台北の国立故宮博物院から4月に1ヶ月間かけて撮影する予定の文物のリストが送られてきました。
故宮から撮影依頼が来たのは、昨秋だったのですが、まだ何を撮るのか知らされていませんでした。今日それが判明したのですが、なんと故宮が所蔵する北宋汝窯の全てと、南宋官窯の24点、そして明代や清朝の官窯を撮影するとのことです。人為を超えた、神品ともいえる汝窯のうちのもっとも有名な水仙盆は一昨年の末にすでに撮りましたが、その時撮る機会がなかった私の最も好きな楕円形の小さな洗(小皿)や輪花の鉢も今度は撮ることが出来ます。やきものの中に潜んでいるどんなものが写ってくるか今からとても楽しみです。と同時に少々緊張もして来ました。いずれにせよ、またとない機会です。依頼された文章など、やるべきことを早めに片付けて、心身を整えてから撮影に望もうと思っています。(六田知弘)

 

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2018.03.02 田中一村
田中一村、島南部の瀬戸内町の最奥部にある海辺の集落で見たリュウキュウアサギマダラの群れ

昨年11月につづいて奄美大島を再訪しました。日中天気がいいとシャツ一枚でも大丈夫なほど温かくなりますが、朝晩はそれなりに冷えました。
着いた翌日は、予報通り朝から雨模様で昼頃からは、本格的に雨脚が強くなり、原生林での植物の撮影もままならぬと思えたので、当てもなくレンタカーを走らせていたら、名護のはずれに「田中一村終焉の家」という標識があったので、寄って見ることにしました。 細い地道を山の方に入ったどんづまりのところに、駐車スペースらしきものがあったので、そこに車を停め、コンビニで買った透明なビニール傘をさして、歩き始めたら、まわりは芭蕉や蘇鉄や檳榔そして阿檀など熱帯性の植物が繁茂していたものだから、バッグからカメラを取り出して写真を撮りながらずっと山の方まではいっていきました。本土では見られない珍しい植生で、そのなかで撮っているとなんとも不思議な感覚に襲われて、田中一村の家のことなどすっかり忘れて夢中になって一時間ほど撮り続けました。ようやく山道が行き止まりになったので、田中一村の家はこちらのほうではないということに気づいて、山道をおりていったら、車を止めた場所からはすぐのところに、その家はありました。
まるで、平安時代の庶民の住居の復元模型をみるような、木の板を壁代わりに貼付けただけの高床式の掘建て小屋です。家の周りの土の前庭は、芭蕉や名前の知らない熱帯性の木が何本か植わっていて、池のように水たまりが広がっていました。ここで一村は一人絵を描き続け、その絵を世に問うこともなく、孤独に死んでいったのです。
私は、美術作品を見るとき、その作品や作者にまつわる物語を自分の頭から排除して、作品そのものに向き合うというポリシーのようなものをもっています。ですので、普段、美術館に行っても作品を見る前には説明文は読みません。
一村が最後の住まいにした建物に対しても、彼の作品を見るときの妨げになるように思えるので、見ない方が良かったのかもしれません。しかし、たまたま来てしまったのだからしょうがありません。
その家の周りから漂いでる濃厚な気配のようなものを受けながらしばらく写真を撮っていると、私の頭はおかしくなってしまったようです。そうこうしているうちに、小雨になってきたので、そこを離れ、金作原の原生林に行ったのですが、そこを撮っている間中も、いや、その日いっぱい、落ち着かない精神状態が続き往生しました。
最終日、時間をとって飛行場の近くにある「田中一村記念美術館」に行ってみました。実は、彼の作品はテレビや本などで紹介されているので知ってはいましたが、実物を見るのはその時がはじめてです。
入って、見て、驚きました。こんなすごい画家がこの前までこの日本にいたのだ。テレビや印刷物で見るのとこんなにも印象が違うのはなぜなんだ。
確かに、彼の終焉の家に行ったりして、一村にまつわる物語を知ってしまったあとに実物を見たということが影響を及ぼしていることは十分考えられます。そうかどうか、少し時間をおいて再度ここを訪れて、自分なりに確かめてみようと思っています。
帰り際にショップで売っていたポスターや図録などを見たのですが、印象は大きく違い、別の作品の印刷物としか思えなかったのですが。
いずれにしても、これからしばらくのあいだ、田中一村という存在が私に何らかの働きかけをしてくるように思います。 (六田知弘)

 

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2018.02.23 大分の石灰石鉱山で
大分の石灰石鉱山で

今、大分県に来ています。昨日と今日は大分県南部の戸高鉱業所というところの石灰石の鉱山に特別に入れていただき、採石の現場で写真を撮りました。ここに載せた写真は一眼レフで撮ってその液晶に表示された画面をスマホのカメラで撮ったものなので、だいぶ雰囲気が変わりましたが、とにかく広大なスケールでまるでどこかの惑星にきたみたいです。もっとも自分の今いる地球もひとつの惑星に違いないのですが…。
惑星といえば、大分に来る時の飛行機の窓から自分が乗った飛行機の影が雲にうつっていましたが、なんとなくこれも地球という一惑星を感じさせられる景色でした。
そういえば東京と大分では日の出も日の入りも30分以上違うのですね。
我々が住む地球は思ったより小さな惑星、「宇宙のかけら」に過ぎないという事をあらためて知った感じです。(六田知弘)

 

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2018.02.16 バガンの菩薩像
バガンの菩薩像

ミャンマーから帰ってから1週間になりますが、なぜだかいまだにバガンの小さな寺院にあった壁画の菩薩像が頭から離れません。
前回に書いた、30年ほど前に本で見てその印象が脳裏から離れなかった壁画というのはまさにこの菩薩像です。
無数にあるバガンの寺院や仏塔のなかで、偶然入った目立たない寺院の暗い堂内で、懐中電灯の光の中にこの像が目の前に浮かび出た時には本当に脳全体にいきなり強い電流が走ったように感じました。
偶然といえばそれまでですが、なんだか私にとってはこの出会いは必然だったようにも感じられます。
なぜこの絵が私をこれほどまで引き付けるのか?そういえば、スイスのベルンのパウル・ クレー センターにある「懺悔する者」という作品を見た時も同じようになものを感じたことを思い出します。
これは何を意味するのか今の私には意識化する事は出来ませんが、これらの絵の中に潜む何かが、私の心の深層部でなんらかの作用を及ぼし続けていることは確かなようです。(六田知弘)

 

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2018.02.09 バガンの空港にて
バガンの空港にて

今、ミャンマーのニャウンウー(バガン)の空港で出発が2時間近くも遅れそうな飛行機の時間待ちをしています。
じつは日本出発前は体調がすっきりせず、ミャンマー行きは延期しようかとも思ったほどでしたが、思い切って来てよかった。こちらに来てからは暖かさのおかげでかとても快調で、朝から晩まで写真を撮り続けていても疲れも感じず、久しぶりにドーパミンが出っぱなしの撮影脳のまま5日間を過ごすことができました。
今回は体調もそうでしたが、撮影の方もツイていたように思います。
日本の本で昔見て、いつかは撮りたいと思い続けていたある壁画があったのですが、しっかりとした情報もないまま来て、無数にあるなかの一つの寺院にほとんどあてずっぽで入ったところ、目の前にそれが突然現れたのには本当に驚きました。そしてその圧倒的な美しさに思わず涙が滲んできたりして。そしてノーフォトという看板が掲げてあったにもかかわらず寺の鍵を持っている人にダメ元で頼み込んだら、明日の朝6時にここに来たら特別に撮らせてやるよ、と言われて夜明け前の真っ暗な未舗装の道をeバイクを走らせて行って撮らせてもらう事ができました。
また、地図にもない、道から外れた小さな寺院を覗いてみたら修復作業をやっていたので、たのんで中を見せてもらうと、今までにちゃんと紹介された事もないだろう素晴らしい壁画が内部いっぱいに描かれていて(私が大好きな人面の鳥キンナラ、キンナリの本当に魅力的な壁画もありました。)、ここでも撮影はダメだというところを粘った末に撮らせてもらったりもしました。修復現場のボスのような人にお前は本当にラッキーなやつだ。普段なら鍵がかかっていて誰もここには入れないんだから。と言われたりして。本当になんという幸運。
どうやら私の一生のうちで撮るべきものが、まだまだいっぱい用意されているようです。(六田知弘)

 

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2018.02.02 ミャンマーへ
ミャンマーへ

今、大阪市立東洋陶磁美術館での撮影を終えて東京に向かう新幹線の中です。昨晩はスーパームーンと皆既月食を見ながら(撮りながら)奈良の実家に戻りました。
2日から1週間ほどミャンマーのバガンの撮影に行ってきます。
バガンといえば無数に建ち並ぶ仏塔が有名ですが、その仏塔のいくつかに施された壁画は魅力的なもので、今回その壁画を撮りに行きます。ただ、仏塔の内部は撮影禁止のところも多いようで、どこまで撮れるのかいささか心配です。しかし今までに行きたくても写真家やジャーナリストが入ることは難しかったのですが政治体制が変わってようやく行く機会ができたので、壁画が思うように撮れないかもしれないですが、まずは、実物を見てみようと思うのです。帰ってきたらまたこのトピックスで報告します。
ところで今、日本ではインフルエンザが猛威をふるっています。私のまわりでも何人もかかった人がいます。どうぞみなさんお気をつけくださいますように。
先日、最近通い出した気功教室の人達と熱海のMOA美術館に行ってきました。あの光琳の「紅白梅図」もでていました。そして庭には濃い紅色の紅梅が咲き始めていました。
春は着実に近づいていますが、暖かな日々が待ち遠しい今日この頃です。(六田知弘)

 

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2018.01.26 雪椿
雪椿

大寒波が列島を襲い、身体も凍りつく日が続いています。
その寒波襲来の二日前、東京でも大雪となりました。夕方から降りはじめた雪は夜半過ぎまで降り積もり、私が住む東京西部の日野市でも20センチ以上も積もりました。
翌日、少し逡巡したのですが、いつものように高幡山不動の裏山を通って駅まで出ることにしました。
足元に注意しながらそろそろと坂道を下りていったのですが、おそらく横の舗装道路をくだるよりは歩きやすかったことでしょう。雪の上にあたる木漏れ日の反射が眩しかったけれどなんとも心地よい道行きです。高幡山の頂上近くのいつもの椿の木のところまで来ると、薄紅かかった白椿が雪の上にポツポツと落ちていました。雪に埋もれているわけではなかったので、雪がやんだ後に落ちたものでしょう。花びらの周辺は茶色くなってしおれていますが、こんなものになんで私は心惹かれるのでしょう。(六田知弘)

 

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2018.01.19 「意味ある偶然」
「意味ある偶然」

福島に住む作家の玄侑宗久さんの最新長編作『竹林精舎』が先日出版されました。原発事故による放射能の影響も懸念される福島県の寺に住職として赴任した青年僧の恋と苦悩の物語です。
じつは私は玄侑さんの依頼でその本のカバーの写真を撮りました。去年の初秋の頃だったと思いますが、福島や静岡、京都、奈良、そして埼玉の竹林や竹薮に踏み入って、ヤブ蚊の襲撃に必死に耐えながら撮ったのが昨日のように思い出されます。
最終的にカバーとして選ばれたのは、私の故郷の奈良県御所市の「本間の丘」というところで撮った写真です。その本間の丘は古事記のなかで、神武天皇が大和に入ってはじめて国見をしたという「ほほまの丘」であると言い伝えられているところです。薄暗い竹林のなかから上を見上げてぽっかりあいた竹の隙間から太陽光がレンズに向かってまぶしく降り注いでいます。小説では、(ここでは詳しくは書けませんが)竹林のなかで見つけた大きな花崗岩にのぼって、その上の竹の隙間からの漏れ来る光をうけながら、青年僧はプロポーズするのです。
「意味ある偶然」。その言葉がこの小説のなかでキーワードとして使われています。深層心理学者のユングが作った言葉ですが、私もこの数年その「意味ある偶然(の一致)」ということを益々強く意識するようになりました。論理的な根拠などまったくないのですが、私にとって写真を撮るという行為は、まさにその「意味ある偶然」の重なりの上に成り立っている、そのように思えてならないのです。そう考えると、私が写真を撮っているのはまぎれもない事実なのですが、じつは、私が撮っているのではなく、何か見えざる手によって撮らされている。そんなふうにも思えてきます。
コガネムシが窓ガラスをコツコツとたたく音がこの頃本当に良く聞こえてくるのです。

昨日、二上山の麓の石光寺で寒牡丹(撮影の後に偶然出会った、もしかしたら私の親戚になる可能性もあったという地元の造園業の方によると、石光寺のものは本当の寒牡丹で、他の寺のものは温度調節で咲かせた普通の牡丹の鉢植えのものを外に出したもので寒牡丹とはいえないとのことでした。)の花を撮りました。普通の牡丹よりもずっと小振りでしたが、冬の柔らかい光のなかで、花びらが重なり合って絹織物のような魅惑的な光沢を放っていました。(六田知弘)

 

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2018.01.12 高幡山の白椿と香炉の煙
高幡山の白椿と香炉の煙

駅まで行くときににいつも通る高幡不動の裏山の道端に白椿の小さな花がポツポツと落ちていました。冬場ここを通るとき、毎年のようにここの椿の花の写真を撮っています。何故だか分かりませんがこの落ちた花に心惹かれます。半分萎れて、花弁の周りも茶色くなりかかってはいますが、その薄紅かかった白玉のような質感の花びらを見ているとなんとも言えぬ癒しのようなものを感じます。この美しさはなんでしょう。
山を下りて高幡不動の本堂前に出ると、正月も10日が過ぎたのにまだまだ人出があります。中央の大きな香炉に午前の陽射しがあたり、白い煙とオレンジ色の焔がゆらめいています。煙を手ですくって身体になすり付け、健康であるよう願う。
いつもの事ですが安らぎを感じる駅までの有難い道行です。(六田知弘)

 

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2018.01.05 インドで迎えた新年
インドで迎えた新年

明けましておめでとうございます。
今年は、インドのサンチーで新年を迎えました。
サンチーには紀元前2世紀にアショカ王によって造営されたという仏塔があって、その撮影に息子と二人で訪れたのです。
10年前に訪れた時にも感じたことですが、サンチーはとっても清々しい空気が流れているところです。もっとも最近インドで問題になっているスモッグのようなものが、毎日たち込めてはいましたが、それでもサンチーの丘の上の仏塔あたりには、訪れる者を浄化するなにか特別な雰囲気に満ちていました。そんなところで、新年を迎えられたことは私にとってはうれしいかぎりでした。
3基ある仏塔のうち、もっとも大きい第1塔にはブッダ(釈迦牟尼世尊)の本当の遺骨(仏舎利)が納められているとも言われています。なぜならその隣にあるより小さい第3塔からは釈尊の弟子の舎利弗と目健連の遺骨が発見されているのですから。
第1塔の周りには東西南北にトーラナと呼ばれる鳥居のような形の赤色砂岩の塔門が立っていてそこにはびっしりと仏伝やジャータカ(釈尊の前世の物語)などが二千年も前のものとは信じられないくらいの素晴らしい造形力で浮き彫りされています。
その中でも私がもっとも印象深かったものというと、飛びながら華鬘(花輪)を枝にかけるキンナラ(有翼の人物)や有翼の獅子に乗った人、その下に聖樹に手を合わせる人々えがかれたものです。それが西日を浴びて浮き立ってみえたとき、ああ、またこの地を訪れることができたのだとちょっと泪がでてきました。十年前にこの浮き彫りをこれと同じ光のもとで撮ったことを思い出したからです。私も思わず手を合わせていました。
この時代は、まだ仏陀の姿は彫刻やレリーフなどには表されておらず、菩提樹や法輪、仏塔、仏足跡などで釈尊の姿を象徴的に示されているといわれています。ですので、このレリーフにある聖樹は菩提樹で仏陀の象徴ということでしょう。でも写真を撮っていると私には、この樹は、実在し、肉体を持った仏陀というより、その教え、いいかえれば宇宙の中心の根源的な真理のようなものの象徴であるというように思えてきました。それに対してこのレリーフの中の人たちは手を合わせ、華鬘を捧げているのだと。
サンチーからの帰り、近くのボパールからデリーに向うプロペラ機の窓からスーパームーンが見えました。飛び立って間もない頃は真っ赤な巨大な月は、美しいというよりちょっと不気味に感じましたが、高度が上がってからは黄金色に輝く円盤のように神々しい光で私たちを照らし続けていてくれました。
今年は、皆さんにとって良い年になりますように。(六田知弘)

 

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